令和元年五月八日

桜の木が緑に彩られ道端のツツジが咲き誇る季節、万屋を始め、様々な店が立ち並ぶ街並みを一人の少女が歩いている。その隣を銀髪の青年が付き添い、ときどき立ち止まる彼女に合わせてその視線を追う。
「食べたいの?」
「えっ?……な、ん……? なっ!あれ食べ物じゃないですよ!?」
何を言われたのか分からず、視線の先が飲食店ではないことに首を傾げる。見上げた先の青年の笑みにからかわれていたと知り、眉を吊り上げて言い返す。対して、青年は「冗談だよ」とおかしそうに笑った。
「でも良かったのかな。本丸を留守にしてきて」
「いいんです。ずっとじっとしてるのもダメって、長谷部さんにも言われましたから」
「まぁ……この二週間、ずっと缶詰だったからねぇ」
今年のゴールデンウイークは滅多とない十連休だったらしい。らしい、というのはこの本丸においてそんなことを一切感じさせるものがなく、むしろ特命調査に参加することで敵や賽の出目と戦う毎日だったのだ。
初期刀として常に傍にいた陸奥守が不在の日が続き、表には出さなくともこの子は疲弊していたのだろう。そう思うとそんな彼女の気晴らしの相手に選ばれた身としては存分に甘やかしたくなる。
「今日はお小遣いもたくさん持ってきたので好きなもの買っちゃいます」
「へぇ……何か欲しいものがあるのかな」
俺が買ってあげるのに、という言葉を飲み込んで彼女の言葉を待った。山姥切は審神者を甘やかしすぎだと以前言われたことを思い出す。
「長義さんへのプレゼントを選ぶんですよ」
「……なぜ? いきなりだね」
「今日は長義さんの日なんだって、他の審神者さん達が言ってました」
へぇ、と返したが心当たりは無い。帰ったら端末で調べようと判断してここでは深く考えないことにした。今考えるのは彼女への返答だ。
道理で先程からあちこちの店を気にしている筈だと合点がいく。理由は分からないにしろ嬉しいことに変わりはない。色々と聞きたい気持ちを抑え、努めて冷静な声で返す。
「じゃあ何を考えてるんだ?」
「長義さんは何かほしいものありますか?」
「君がくれるなら、何でも嬉しいよ」
これは山姥切長義の本心だった。彼自身、自分は与える側だという認識を持っているが与えられたものを跳ねのけるほど強情でもない。
昔から付き合いのある彼女に対しては殊更過保護になっている自覚はあるが、自分に差し出されたものはどんな些細なものでも何にも変えられない宝物になるだろう。
そんな胸の内を知ることもない審神者は、彼の返事をいつもの「何も欲しがらない人の答え」だと受け取り、頭を悩ませている。
「うぅー、それじゃあ難しいです。えっと、私が考えてるものでいいですか?」
「うん、いいよ」
「じゃあねぇ……ケーキもいいし、長義さんいつもペン使ってるから、それもいいなぁって。でも長義さんの好きなものが分からないから……どうですか?」
立ち止まってきょろきょろと周りを見渡す少女には目星がついているのだろうか。まさかそこまで贈り物の内容を固めていたとは思わなかったので驚く。彼女を見縊っていたのかもしれないな、と新しい発見をした心地だ。
(もう一つ、ワガママを言わせてくれるなら)
答えを待つ彼女に、じゃあ……とまるで秘密話をするかのように口元に手のひらを添えて少し声を潜める。そこに合わせるようにまろい頭が近付いてくるのを見計らって口を開く。
「ケーキは買ったら一緒に食べよう。それから、ペンはお揃いにするのはどうかな」
「うん」
「あと、今だけでいい。昔の呼び方をしてほしい」
審神者と刀剣男士としてではなく、保護された子どもと世話を焼いたお兄ちゃんとして過ごしたときの呼び方を。
普段、本丸ではそう呼ばれることはない。他の刀達もいる手前、自分だけ呼び名を変えて審神者と刀剣男士の均衡を崩すことになるのは彼自身が求めるところでもない。だが、ふとしたときにふたりだけの呼び名が恋しくなる瞬間が訪れるのだ。
「なんで?」
こくんと首を傾げた拍子に流れた髪の毛が青年の手のひらを擽った。
「長義さんはお兄ちゃんなんだから、いつでも呼ぶのに」

「あっ、でも恥ずかしいからいつもは呼ばないからね!今のなし!」
「……はは。恥ずかしくないよ、啓ちゃん」