ある日の昼下がり、ネロとアリエッタは買い出しのために栄光の街の市場を訪れていた。中心に大河が流れるそこでは貿易が盛んに行われている。色々な国の商品が店先に並んでおり食材も例外ではない。
東の国でとれるエバーミルクを使ったチーズなどは二人ともに馴染み深い。いっぽう、二股ニンジンに甘い品種があることなどアリエッタは魔法舎に来てから知った。
「料理はできるのに、あんた、意外とそのへんからっきしなんだなぁ」
「城では業者が来ていましたから、自分で食材を選ぶことなんてなかったんです」
何処を歩いても賑やかな街では、自然と会話も声を張り上げることになる。二人ははぐれないように細心の注意を払いながら人の波を縫うように進んだ。
買い出しに連れて行ってほしいと頼んだはアリエッタの方だ。荷物持ちなら気を遣わなくても、と断ろうとしたネロに違うんですと事情を説明し、こうして彼の買い物に付き合わせてもらっている。
「でも魔法舎に来てそんなことを言ってる場合ではありませんから」
彼女の目的は食材の調達について学ぶことにあった。台詞のとおり、ブランシェット城は業者が出入りをしていたのでいちいち買いに出る必要がなかった。そもそも食材の目利きや調理はシェフやキッチンメイドの仕事であり、彼女が携わることもないのだ。
「ヒースもシノもブランシェット以外の世界を広げています。私だけ置いていかれるのも嫌ですし」
「若いねぇ」
ネロが立ち止まるのにつられて足を止める。彼の苦笑混じりの声が耳に届き、言葉の意味を理解したとき既に相手は店主と話を始めていた。会話を遮る気にはなれなかったのでじっと会話の行方を追う。
その日仕入れたものや店主のおすすめ、テンポ良く行ったり来たりする会話はその内容一つ一つを覚えている余裕はなく、その中の単語の一つを拾うので精一杯だ。
アリエッタには食材の相場が分からない。全く分からない訳ではないが、同じものでも季節や国によって変わることがピンとこない。ネロいわく、それはもう経験して覚えるしかないそうだ。
「大丈夫か?」
「あ、はい。此処の果物はどれも美味しそうですね」
白髪混じりの店主は目尻の皺を深くして笑う。何を作るんだい、と聞かれたので思わずネロの方を見る。アリエッタはただ彼についてきただけなので買い物の目的をよく分かっていなかった。
「まだ決めていないんだ。さっきオススメされたルージュベリー買ってこうかな」
予め用意されていた台詞を読むようにネロは澱みなく答えた。どれがいいと思う? そう言って手渡された数個のルージュベリーだが彼女に善し悪しが分かるはずもない。困り果ててその顔を見上げると小麦色の見守るような視線とぶつかった。
「どれも美味しいんだからだいたいで大丈夫だよ」
言われた通り、適当にいくつか見繕ってドキドキしながら彼に渡せば礼と共に受け取られる。いいじゃないか、とそのまま店主に渡して購入することになった。
そうして二人はまた人並みの中に戻った。買い物に出る前に言われたとおり、購入した食材は全てネロの手元にある。アリエッタは手を伸ばすこともできなかった。
「今日は買い物に付き合わせただけになって悪かったな。俺で力になれることなら手伝うからまた言ってくれ」
「いえ、ああやって市場で直接見ることができて勉強になりました。これからもネロさんが教えて下さるなら百人力ですね」
「いや、そんな期待されてもなぁ……」
彼は自分を褒められるといつだってそんな顔をした。相手からの尊敬や好意を受け取るのに躊躇って、けれど無視して床に落とすことは出来ないから宙に浮かせている。きっと困っているだろうに、それを相手に直接伝えることをしない。
「それより、このルージュベリーはどうする? 何か食べたいものはあるか?」
少しだけ思考を巡らせてアリエッタは答えた。
「サングリアはいかがでしょうか?」
「それだとアンタが飲めないじゃないか」
「ネロさんがお好きでしょう?」
「……でも、それだけじゃなんだし、お子さま用にデザートでも作るか」
自分だけが与えられることに居心地の悪さを感じてしまう彼らしい台詞だった。
予想していた返事にアリエッタは笑う。それは、彼にはデザートを用意されて喜ぶ子どもの笑顔だと映っただろうか。
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