ノックを三回して、相手の返事があってからドアノブに手を伸ばす。たとえ親しき中であってもマナーは守るべきだ。
「シノ、入ってもいいですか?」
「あぁ」
小さく音を立てて扉を開き、飛び込んできた部屋の光景にアリエッタは絞り出すような声をあげた。
「うわっ……」
彼は着替えている最中で、アリエッタの思っていた「入ってもいい」状態ではなかった。かろうじて下着を身に付けているが、逆にいえばそれしか着ていない。右肩に咲いた紋章どころか薄らと割れた腹筋や細いながらしっかり筋肉の付いた両足も晒されいる。
「大丈夫じゃないでしょう。ちゃんと言って下さい」
「エッタだしいいと思った」
「何でいいと思うんですか」
「小さい頃は平気だったろ。オレを無理やり脱がせて風呂に入れてたくせに」
「……どれだけ小さい頃の話をしてるんですか」
そんなの、ヒースクリフとシノが一緒に風呂に入るのを羨ましく思うくらい幼い頃の話だ。顔が泥に汚れるのも構わす遊んでくる二人をそのままにする訳にはいかなかったから。好きでやってた訳ではない。周りのメイド達の言うことを素直に聞くヒースクリフはまだしも、シノのことは城の大人達も扱い方に困り果てることがあって、そんなときはアリエッタの出番だった。
「あの頃は小さかったからですよ。もう小さくないでしょう?」
咎めるための言葉はむしろシノの機嫌を取ることになった。彼の口の端がにやりと得意げに上がる。
「そうか、変わってるか。大きくなったか? 身長が? 筋肉もついたか?」
「来ないで下さい! 服を着て!」
そのまま近付いてこようとするシノに声を張り上げる。どうして自分がこんなに焦っているのか分からないほど、アリエッタは冷静でいられなかった。視線が床から天井へぐるぐると猛スピードで泳ぐ。
反対に怒られた本人は彼女の挙動に首を傾げただけでけろりとしている。アリエッタの言葉にあぁ、と何かを思い出したように口を開いた。
「ちょうど良かった。服なんだが、訓練着の黒いシャツが無い」
「えぇ……? 先週に洗濯してから戻したはずですよ。絶対どこかには入ってます」
まるで母親と息子の会話のやりとりだ。これで相手は年下扱いを嫌がるのだから不思議なものである。
たしかここ数日は着ているところを見ていない。どうせいつもと違うところにしまって探せなくなったとか、そんなことだろう。放っておくことも出来ないので仕方なく衣装棚の引き出しを開けてみる。勝手知ったる幼馴染の部屋だ。何処に何が入っているかはだいたい把握している。
(もうちょっと整理して入れればいいのに)
そんなことを考えながら中を探していたとき、ふと、しゃがみ込んでいた自分に影が落ちる。
「違う、そこは探した」
「シっ……!」
視覚とは違うところで彼の気配を感じた。熱のような匂いのような、そんなものが自分のすぐ傍にある。振り返ってみると彼の黒髪が触れそうなほど近くで揺れていた。
「な、え……」
シノと棚の間に挟まれて身動きが取れない。反射的に距離を取ろうとしたせいで後頭部を棚で打つはめになった。
(まって、いや、はやくはなれて)
ヒース、と叫びそうになるのを堪える。いくらなんでも主人に助けを呼ぶわけにはいかないし、そもそもシノが近くにいるからなんだというのだ。たしかに幼い頃とは違うが、風呂に入れたり着替えさせたりしたことのある相手だ。同僚であり手のかかる弟みたいな存在。そのはず、なのに。
「おい、どうした」
シノが首を傾げて此方を覗き込もうとしたのを顔を背けて逃げた。本当にどうしてしまったのだと自分でも分からないほど耳と首が熱くて、その内側で血液が煮えている。
知らないことは口に出せない。もしかしたら、と思っても間違ったことを彼に話すわけにはいかないから、アリエッタは口を噤んで首を振ることしかできなかった。
結局、閉め忘れていた扉から中を覗いたヒースクリフの魔法によってシノは布団で簀巻きにされた。
Good morning , happening
