(幼少期)(アリエッタの誕生日)
誕生日というのは幼いアリエッタにとってそれはもう特別な一日だ。普段より美味しいものを、たとえば自分がリクエストしたフルーツたっぷりのケーキを食べたりして。父親はいつもであれば叱られるほどはしゃぐ彼女に目を瞑り、城のみんなからはおめでとうの言葉をかけられる。
そんな一日通してのパーティ気分も、自室に戻ってひとりの時間を過ごしていれば少しは落ち着いてくる。アリエッタは髪を乾かすのもそこそこに、今日貰ったプレゼントを並べてはそのひとつを手に取った。
「きれい……さすがは坊ちゃん、すごいなぁ」
手鏡に刻まれた植物の蔦を模した彫刻はヒースクリフが自ら彫ったらしい。それを色々な角度に掲げ、窓から入ってくる光に照らせば飽きることなく眺めていられそうな気がした。
ふと、部屋の中に影が落ちる。
「ん? ……うわぁ!」
反射的に窓際へ視線を向けると、黒い人影が月の光を切り取って浮かび上がっていた。突然の来訪者に驚いたアリエッタは飛び上がり、その拍子で椅子は音を立てて倒れた。
コンコン、と音がする。黒い影の中で赤い瞳がじっとこちらを見ていた。椅子を蹴飛ばして窓に近付き、窓を開け放つと冬の気配を乗せた風がふわりと生乾きの髪を揺らす。
「シノ!どうしたの、一体」
「エッタ、ついてこい。プレゼントをやる」
彼らしい、何の説明もない用件だけを伝える言い方だ。アリエッタは首を横に振って答える。
「プレゼント、お昼にくれたじゃない。黄色い花の花束、ほらみて、見えるところに飾ったのよ」
貰ったプレゼントの中には大きな花束もあったがそれは父親には預けた。シノがくれたのは森でよく見かける小さな黄色い花をただ紐で束ねただけの簡素な花束だ。机の上の花瓶に移し替えられ、今も彼女の部屋に彩りを与えている。
「あんなの、全然特別じゃない」
その声が寂しそうに聞こえたのは何故だろうか。そんなことはないと否定しようと口を開く前に、「でも」とシノが続けた。
「思いついたんだ。お前に、オレだけがやれるもの」
だから早く、と急かすシノの方こそプレゼントを強請る子どものようだった。けれど、アリエッタは彼から何かしてもらうのと同じくらい彼に何かしてあげたいと思っていたから、可愛い弟分に誘われれば迷いは無かった。
「早くって何?窓から行くの?」
「あぁ」
「シノのほうき、後ろに乗れるの?」
「多分できる。お前より重い荷物も運んだことがある」
「……落とさないでよ?」
差し出された手を取って、窓枠に足をかけてそのまま彼に身を委ねる。少年のエスコートは愛想もなくて危なっかしくて。けれどその日、生まれて初めて空を飛んだ。この夜のことを生涯忘れることは無いだろう。