その日の夜
大いなる厄災の光が薄手のカーテン越しに部屋に落ちる。今自分が寝付けないのをその明るさのせいにしたかった。まあ、どう理由付けしたところで眠れないことには変わりないのだけれど。
(何も起こらない? 本当に?)
もしも、今回のミノタウロスみたいに自分の知らないところで彼らが傷つき、失われることになったら。そう思うと眠るのは怖かった。皮膚の下で忙しくなく脈打つ心臓が気になって仕方ない。何も脅威がないはずのこの部屋で恐れるのは、明日が何事もなく訪れるのかという不安だ。
「────」
ふと、気配がした。僅かに空気が揺れる程度の、寝ていたら気付かないくらいの本当に小さいもの。アリエッタは身体を動かさず視線だけで扉の方を窺う。
「……夜中に女性の部屋を訪れるものじゃありませんよ」
「知ってる」
シノだ。月明かりに照らされた小柄な少年の姿に驚くことはない。そんな予感がしていた。いや、予感というよりは願望に近い。不安な夜に彼に傍にいてほしいと思った。
足音を立てずに近付いてきた彼は自分を見上げる少女の瞳が濡れているのを見た。
「泣いてる。怖い夢でも見たのか」
夜の静寂を壊さないように潜められた声が問いかける。そのときになって、アリエッタは自分の眦から伝う涙が枕を濡らしていることに気付いた。手をついて上半身を起こす。頬を触れば確かに濡れていた。
「シノ、体はもういいんですか」
「いい加減に寝すぎて眠れない。起きてたら腹も減ったからキッチンに行ってきた」
寝巻き姿のシノは何回も言われ続けた台詞に辟易しているようだった。これ以上言われたくないとばかりに肩を竦めて応える。
「それより何が出てきたんだ。森の狼か、死者が蘇ったか、ワイバーンが城を襲う夢でも見たか」
夢見が悪かったのだろうと決めつけるうえに何処か愉快げで憶測を並べる。この幼馴染はヒースクリフやアリエッタを怖がらせては反応を楽しむ悪癖があった。
「寝てすらいませんよ。ただ、寝付けなくて……」
理由は語ろうにも上手く言葉にならない。正直に言うことは恥ずかしく、言い換えるには難しい。そのとき、シノが動いた。窓から入る月明かりが彼の身体で遮られ、アリエッタに影を落とす。
「泣くな、アリエッタ」
瞼に柔らかいものが触れる。安静を命じられたシノからはいつもの森の香りはしない。その代わり、ついさっきまで飲んでいたらしいホットミルクの甘い匂いがした。
……誰のせいでこんなになると思っているんだか。口にできない不満が溶けてゆく。この一瞬の温もりをたよりに、夜を越えることができるだろうか。
「もう……泣いてません」
狼も死者も、ワイバーンも大いなる厄災でさえ。彼らさえ傍にいてくれたら、何も怖くないのに。