《演練に敗北しました》
《刀剣男士の転送まで暫くお待ち下さい》
合成音声が告げる演練結果のアナウンスを陸奥守は大の字に転がりながら聞いていた。あとはシステムが作動すれば勝手に負傷も治るし審神者のところへ戻ることが出来るので、自分は何もしなくても良い。そもそもいまは立ち上がることすら困難な状態だが。
結果に対しては何も感じるものがない。やっと終わったという疲労感と今からの時間を考えての憂鬱が大きな溜息となって吐き出される。
「終わったーっ。あんたもおつかれさま」
頭上から聞こえてくる気の抜けた声は対戦相手の加州清光のものだ。先程まで激しい勝負に鎬を削っていた相手とは思えないほど緩い空気を纏った彼だが実力の差は歴然だ。彼にみられる怪我は血が滲む切り傷程度の軽傷それだけ、ふたりの勝負は陸奥守の完敗だった。
「おん……おんしも、な……」
指一本動かすことすら億劫な陸奥守はそれを声に出すだけで精一杯だった。
視界の隅で苦笑する加州の姿がぼやりと滲む。空間転移が始まったのだ。
それと同時に審神者のものでもない不可思議な力によって急速に怪我が癒えていく。身体を横たえてゆっくりと英気を養う手入れとは違い、次の瞬間から動けと言わんばかりに無理やり身体中を作り替えられているように不快感を伴って痛みは引いていく。
だが 休んでいる暇などない。むしろ陸奥守にとってこれからが勝負なのだ。仲間との合流を前にして緊張なんておかしい話だが、じわりと広がっていく焦燥は誤魔化しようもなく心を這いずり回った。
景色が変わる。
傷の癒えた身体にやはり残る違和感を覚えつつ周囲を見回すと、戦場へ転送される直前と同様、第一部隊の面々が円を描くように集まっていた。誰も顔を上げて口を開こうとせず、そこにはただ気だるさと重苦しさがぐるぐると渦を巻いて漂っている。
「主のところへ戻るか」
ぽつぽつと返ってくる返事には覇気がない。まあ負けてもなお背筋を伸ばすようになんて、自分にそんなこと言う資格もない。彼らの心の内を自分なりに推し量ることも出来たから強く出ることは躊躇われた。
対戦する本丸の審神者は相手と同じ部屋で待機して刀剣男士の戦う姿を映像で見守る。陸奥守達が部屋に戻ったときは既に相手の部隊は戻ってきており、一人残された主が居心地悪そうに小さな身体を更に縮こまらせていた。
「あっ……おつかれさまです!……あの、大丈夫ですか?」
第一部隊の足音に気付いて振り返った彼女は小走りで近付いてきた。部隊全員に視線を走らせておそるおそるといったふうに口を開く。口の端を無理やり引き攣らせた不自然な笑みがいびつで、けれどそれは彼女が振り絞った勇気なのだ。
それに応えるためにも陸奥守もつとめて明るい声を出した。
「なんちゃあない!戦闘が終わったら怪我も元に戻っちゅう」
からからと笑う陸奥守の頭の隅で、空元気という言葉がかたちになってすぐに消えた。それの何がいけないのかと、誰に言われたわけでもないのに頭の中で言い訳をする。そんなもの、今は考える意味などない。
「それならよかったです」
これもいつも通りの彼女の台詞だった。彼女は負けたことに対して残念だと口にしたことは一度も無い。出陣で敵本陣を探せず撤退したときも、演練で何度敗北したとしても、「みんなが無事でよかったです」と、それだけを不自然な笑顔で口にした。
「そんな過保護にならなくても僕達は刀だ。斬ったり斬られたりは慣れているさ。少なくとも君よりはね」
にっかり青江が笑う。彼の軽口はいつものことだと分かっていても、その言葉の一欠けらも彼女を傷付けるものでないことを願う。こっそりと傍に立った審神者の表情を伺ったが、言葉を詰まらせたものの純粋に困っているだけのように見えた。ひとまずほっとする。
「わ、わかってはいるんですが……」
「××国の審神者くん、おつれさま」
相手側の審神者が刀剣男士との輪から離れて此方へ歩み寄ってくる。初老と呼んでも差支えない男性はその年齢に相応しい落ち着いた所作で啓に近付き、すっと右手を差し出した。
握手を求められているのだと理解して手を差し出すと、一回りも二回りも大きくて硬い手のひらに包み込まれた。
「まだ小さいのに頑張ってるね。君の刀剣男士達も強い」
「…………」
嫌味には聞こえない、戦った相手からの純粋な称賛である。しかしそれは陸奥守をはじめ第一部隊の彼らの胸に響きはしない。むしろ敗北を与えられた将からの言葉は苦みのある屈辱として耳に残った。
そしてそんな彼らの心情が伝わったわけでもないだろうが、主は小さく首を傾げて頼りなさげに笑う。少女の浮かない表情に何を思ったのか、相手の審神者は腰をかがめて視線を少女に合わせた。そうして幼い子どもに言い聞かせるように、穏やかな柔らかい声で告げる。
そこには大人として、目上の者としての圧倒的な余裕があった。
「君はまだ子どもなんだから、先は長い。焦らなくていいんだよ」
「……はい。分かってます」
そのとき、啓は何かを言おうとした。けれどそれをぐっと堪えて聞き分けの良い子どもとして振舞ったのが隣の陸奥守には分かった。相手が親切心で言っているのは傍目にも明らかだったが、それでも男の一言は少女の心の大切な一部分を握りつぶしたのだ。
「これから、たくさん頑張ります。また、よろしくおねがいします」
「うん、これからが楽しみだね」
年上の相手に対して礼儀正しく接する子どもの姿は決して悪く映らないだろう。目尻の皺を深くして相手の審神者は微笑んだ。 男の後ろに控えていた加州清光がふたりのやりとりを眺めて「可愛いねぇ」と笑う。
まるで愛玩動物にでも向けられるような言い方に引っ掛かりを覚えた。勿論彼も自分の主君と同様に悪気があって言っている訳ではない。第三者から見て主の姿は可愛らしいものとして映るというだけだ。
「帰りましょう、主。此処でやるべきことはもう終えました」
陸奥守には引っ掛かり程度で済むとしても、中にはそれを不快に捉える者もいて、現に同じように聞いていたへし切長谷部は眉根を寄せて険しい顔をしている。言葉には棘が含まれ、相手の方を睨みつける眼光は鋭い。
「あぁ、今日はこれが最後だしね。じゃあまた、ゆっくり休むんだよ」
「はい、今日はありがとうございました」
気さくに手を振って去っていく相手へ頭を下げて見送る。去っていく集団の一番後ろで振り返った加州がつまらなさそうに目を細め、此方を見ていた。
「何をそんなに焦ってんだか……」
不貞腐れたような声。それが非難めいて聞こえたのは自分の思い込みだろうか。
本丸の門をくぐったのはちょうど昼餉の始まる頃合いだった。
まず彼らを出迎えたのは玄関にいた薬研藤四郎で、彼は第一部隊の姿を見つけると「よぉ」と片手をあげた。 審神者が駆け寄っていく。
「ただいま。薬研くん、どうしたの?」
「昼餉の準備ができたからな。待ってたんだ」
それを聞いて主の顔が嬉しそうに綻んだ。やはり先程までは気を張っていたらしく、今は年相応の無邪気な笑みを浮かべている。彼は同じ刀剣男士に対してするように気さくに少女を手招いた。
「あとは皿に盛るだけだ。手伝ってくれ」
「うん!」
「わしも行ったほうがええかえ?」
軽い足取りで薬研へついていこうとする啓の背中に声をかける。ぴたりと足を止めて振り返った彼女はふるふると首を振り、歯を見せて笑った。
「大丈夫ですよ。陸奥守さんはゆっくり休んでてください」
「そ……ぉか。ほいたら、頼むわ」
「はい、もちろんです!」
元気のよい返事をして去っていく背中を見送る。安堵とも寂しさとも呼べる思いが胸にじわりと広がった。
この本丸で食事の支度は陸奥守の仕事だったが、第一部隊である陸奥守は本丸から離れることが多い。刀剣男士が少ない頃はそれでも出陣や演練を終えてからなんとかこなしていたものの、戦況が厳しく出陣が増えるになってそれも難しくなった。そんな状況を見計らったかのように厨に手伝いに入るようになったのが宗三と薬研の二振りである。彼らには本当に助けられているのだが、未だに何を考えているのかは分からないでいる。
「わしらも着替えて行くか」
「出陣……じゃないんだ」
「演練のある日はぎっちりないきに、午後は休みちや」
「…………」
ぼそぼそと話す小夜左文字の声が耳に入り、自分に話し掛けられたか分からずとも答えたのは最早癖のようなものだ。
陸奥守の返答に口を噤んだ彼の視線は地へ落とされる。これ以上話す気を無くしたのか、もともと返事を期待していなかったかは謎だが、どちらにせよ寡黙な彼の性格を有難いと思う。そして同時にそう思ってしまう自分にも嫌悪を抱いた。
「気楽すぎやしないか」
小夜の声が聞こえたのは陸奥守だけではない。二振りのやり取りを聞いていた長谷部が会話を拾い上げる。むしろ彼自身の不満を口にするための引鉄だった。演練後のやりとりで降下した機嫌は直っていない、そうでなくとも普段から眉間に皴を寄せて難しい顔をしている彼だ。苛立ちを隠さない声音で陸奥守を責め立てた。
「出陣は本陣まで行けず、演練では負け通しだ。もっと手立てを講ずるべきだろう」
「始まったばかりやろう。ほがな焦ってもいいことらぁてない」
「それは他の審神者も同じことだ」
「他の審神者と違う、あの子はまだ幼いがよ」
「それを理由に最善を尽くさないのは怠慢じゃないのか」
矢継ぎ早に帰ってくる小言に陸奥守の心の内がじりじりとひりつく。悲しさ、寂しさ、苛立ちが身体中を暴れ回る。
「な、ん……あの子が……頑張っちょらんっていうか……?」
溜め込んでおけずに零れ落ちた台詞は言うつもりがなかったものだ。やってしまったと悔やんでももう遅い、自分でも驚くほど悲痛に響いた声は場の空気を変えるには十分だった。
「陸奥守、あまり自分だけで背負い込みすぎるな」
「僕達は僕達にできる範囲で、やれることをやればいいのさ」
鶴丸の声がつかの間の沈黙に落ち、にっかり青江は肩を竦めて彼の言葉を自分なりに繋げた。彼がそんな風に思っていたとは知らず、陸奥守はぽかんと口を開けて固まる。青江の顔には柔らかい微笑みが浮かんでいる。
「そう……じゃな」
他者に頼るということがどういうことかはまだピンと来ない。けれど此処で彼らの厚意を無碍にするのは更に和を乱すことになるというのは分かる。だから思っていることを正直に言うことにした。
「分かってはいるがよ。ちっくと、どうすればえいがか、考えさせてくれ」