第六話 出陣、阿津賀志山

「中傷になってからが本番です」
こんのすけ曰く、傷ついた刀剣男士は一時的に身体機能が上昇する。その結果、相手の急所へ攻撃を当てやすくなり敵を撃破できるという。仕様です、と平然と言いきったその内容を審神者は青い顔で聞いていた。
「ちゅうしょうになってからがほんばん……」
呆然と鸚鵡返しする審神者のその隣、同じく聞いていた陸奥守は思い返す。初陣のときのあれか。
「ちゅーか、おんし……それを知っちょったがやき言わんかったがか……」
「わたくし、審神者さまの味方ですので。審神者さまが望まないことは言いません」
管狐の感情の見えない面がえへんと威張っているように見える。脱力はしたものの怒りは湧かなかった。彼女を傷付けないことを最優先した自分に、この同僚を責める権利は無かった。

「中傷でも進んでください」
こんのすけから聞いた内容を第一部隊に伝える少女の顔は、不安や恐怖の諸々で強ばっていた。彼らはなんと言うだろうか。そもそも、本当に大丈夫なのか。零れ落ちそうな弱音を喉の奥に押し込めるも、戦装束で待つ彼らの顔を正面から見ることはできなかった。今までであればここで助け舟を出すのが陸奥守の役目だ。審神者の思いを代弁して反論があれば自分が受けつける。けれどそれをやめようと決めた。
「あるじさま、だいじょうぶですよ」
真っ先に今剣が口を開く。青江もすかさず続けた。
「折れても大丈夫だからじゃない。折れないよ、僕らは」
「…………」
彼の言葉にそろそろと顔を持ち上げ、彼女は小さく頷く。ぐっと何かを堪えるように結ばれた唇、頼りなさげに揺れる眼差し。そんな少女に、鶴丸は手を伸ばせば触れられるほどに距離を縮めた。彷徨う視線が自分に留まったことに微笑みで応え、幼い子どもをあやすような柔らかな声で応える。
「主、君の怖がる気持ちも分かる」
「怖い。……けど……」
「うんうん。……怖いけど大事だと思って、言ってくれたんだろうなぁ。頑張り屋だなぁ」
「鶴丸さん……っ」
両手を使って髪の毛を掻き回すように撫で回してやる。その瞬間、堪えきれなくなった少女はその懐に飛び込んだ。小さな身体をしっかりと両腕で受け止め、ぼさぼさにした頭を手ぐしで整えるように撫でてやる。頼りなく細い腕が自分の背中に回されるのを感じて、鶴丸も強く腕の中の温かさを強く抱き締めた。
「いいこだなぁ、おチビさん」
ふたりのやりとりは話し合いのド真ん中で行われていて、他の隊員はそれを見届けている。まるで既に勝利が約束されたかのような空気。それを察したのか、窘めるように長谷部は言った。
「まだ浮かれるのは早いぞ。主は俺達に信頼を見せた。今度は俺達の番だろう」
審神者はその言葉に鶴丸の腕の中で身動いで顔をそちらへ向けた。長谷部の言わんとしていることを継いだのは小夜だった。
「帰ってくるから。折れることなく、主のところに」
「うん……私も、がんばるよ」
小夜、長谷部、そして陸奥守の顔をじっと見た。彼女は陸奥守に対して何かを言うことはなかった。ただ自身の初期刀を見て誇らしげに笑った。誇らしいものを、素晴らしいものを見ているように彼女が笑うから、陸奥守は自分がその通り強い存在のように信じられた。

第一部隊で集まるより少し前のこと、長谷部はある刀を探していた。奴はこの時間であれば厨だろう、そう目星をつけて向かえばその通り、昔馴染みは野菜を広げて何かをしているところだった。振り返った宗三左文字は戦装束の長谷部を見て訝しんだ。
「何か用ですか。これから第一部隊は出陣でしょう」
「宗三、出陣中に主の隣にいてくれないか」
はぁ、と気の抜けた返事が出る。溜息のようでもあった。
「なんですか。今更ですよ、そんなこと」
出陣していない刀剣男士達にも勿論やることはある。内番も食事の当番も刀装作りもある。審神者は陸奥守がいないときはたいてい宗三左文字か薬研藤四郎、堀川国広の後ろをついて内番の手伝いをしていることが多い。今更かしこまって頼まれることでもなかった。
「違う。主は今回出陣の指揮を行うことになる。つど、戦況を見て判断を下してもらう」
間を置かず返ってきた否定の言葉に宗三左文字は目を見張った。かと思えば眉を寄せて長谷部を睨みつける。そこには非難の色が見えた。
「……あんな子どもにさせるんですか」
不愉快をあらわにした彼の反応を前に、長谷部は自分の予想が当たったことに安堵した。宗三は審神者のことをちゃんと見ている。ただの所有者としてだけでなく、ただの顕現する力と率いる立場を持った人間としてだけでもなく。その幼さに危なっかしさを感じ、気に掛けているのが分かる。だからこそ彼に頼もうと思ったのだ。
「最初から上手くいくとも思っていないし、主に掛かる負担も大きい。……だから、お前に近侍を頼んでいる」
「それは……」
宗三は何が言い募ろうとして、やめた。ここで問答することが無意味なことだと分かったのもあるし、何よりその表情に彼からの信頼を見つけてしまった。
「いいな」
「別の刀に任されるよりは、まぁ……」
煮え切らないような返事をする。視線を僅かに下におろす。返した言葉は本心だった。別の刀に任されるよりは良い。第一部隊の中には彼の弟である小夜左文字もいる。自分しかいないとも思った。

そうして第一部隊の阿津賀志山への出陣は始まった。
彼らを見送った審神者の傍に宗三が控える。少女は宗三には分からない端末を操作しては機械の向こうの彼らに何度も話しかけている。
「大丈夫ですか?」
「まだつけてていいですか?」
「何もありませんか?」
そのつど陸奥守は繰り返し「なんちゃあない」と応えた。時折、他の刀の声も混ざる。
『さっきとおくをむじながはしってましたよ!』
『今聞こえてるのはなんだ? ひよどりか?』
『このあたり鳥も多いんだよねぇ』
まるで戦場にいるとは思えない長閑な雰囲気が伝わってきた。審神者に対して気を遣っているのだろうと宗三は感じたが、それでも彼らが無理をしているようにも聞こえない。
しかしそんな穏やかな時間も続くわけではない。終わるのも突然だ。
『そろそろ切るぜよ。またあとでじゃ』
「あっ──」
こちら側の返事を待たずに通信が切れる。こうなってしまえば本丸からは彼らの様子を把握することはできない。
「みんな……無事でいて」
「大丈夫でしょう。彼らは強いので」
伝えられなかった祈りがぽつり零れ落ちるのを横で聞きながら、宗三はすかさず口を開く。
「あなたの方がよく知っていますね。彼らが強いことも、約束を守るひと達だということも」
「……はい」
彼の言葉に対して、少女はかろうじて返事をしたようにしか見えなかった。声を掛けられたから返しただけのように、意識はほとんど見えない彼らの方に向かっている。宗三がこれ以上何か声を掛けるべきか迷っているうちに、再び通信は開いた。
陸奥守の朗らかな声がする。
『あるじ! みんな無事じゃあ』
「……ッ、良かった……!」
泣きそうな顔で笑う審神者の隣、宗三は無意識に肩に力が入っていたことに気付いて自嘲する。少女のことを言えない、どうやら自分を気を張っていたらしい。
『あるじさまーっ、誉はぼくですよぉ!』
『さっ、しゃんしゃん行くぜよ』
『おチビさん、まだいいこに留守番していられそうかい?』
「はいっ!」
それからも通信から入ってくる情報は悪いものではなかった。我先にと敵を倒す今剣と小夜左文字のふたりのこと、刀装のおかげで遠戦から優位に進めることができていること、そんな話が代わる代わるに入ってくる。小夜が誉をとったと聞いたときはふたりで顔を見合せては笑みが零れた。
「小夜くん、強いんですよ」
「……そうなんですね」
だが、最後まで順調というわけには流石にいかなかった。
『青江と小夜が中傷になった』
「…………」
ふたりの名前に審神者ははっと息を呑む。思わず隣の宗三を振り返りそうになったのを堪えた。間を置かず、通信機を通して青江の声が聞こえた。
『僕は大丈夫。刀装も残っているし、今ひどく集中できそうなんだ。こんのすけが言う中傷からが本番というのもなんだか分かる気がするなぁ』
普段通りの落ち着き払った、笑みさえ浮かべていそうな声音だった。これが果たして虚勢なのか、それを判断するほど宗三は彼のことを知らない。審神者はおそるおそる、けれど取り乱すことなく問いかける。
「青江さん……大丈夫ですか?」
『うん、もちろん』
『主……僕も、ッいける……』
青江の返事の後に続けて聞こえる声は小夜のものだ。こちらは青江と違って話すことも苦しそうな声色だった。これまで聞いたことのない弱々しい声に、一気に全身の血の気がひく。言い知れぬ不安に心臓を鷲掴まれた心地になった。
(中傷? これで? しなない?)
「小夜くん……。えっと、他のみんなのケガはどうですか?」
それぞれの状態を聞くと、鶴丸は真っ先にほぼ無傷だと返ってきた。今剣も刀装を失った以外元気だと言う。声も元気そうだ。陸奥守も、長谷部も、そんな感じの答えだった。
(ここは、行くのがいいんだ。行くべきだ)
まだ遠戦できるだけの刀装も残っている。こんのすけは中傷で折れないと言った。ここで退く理由はどこを探しても見つからない。ただひとつ、自分が口にする躊躇いがあるだけ。
彼らは主の決定を待っている。出陣前に決めたことをなかなか言い出せない審神者の不甲斐なさを責めることなく、次の言葉を待ってくれている。
──これが、信じてもらえているということ。
「進んでください。……小夜くん、ごめんだけど」
『ん……謝らないで。戻るから、待ってて』
『敵の首も持って帰るぜ!』
「要りませんよそんなもの。鶴丸、軽口を叩く余裕があるならさっさと討ち取って帰ってきてください」
意気揚々とした鶴丸の宣言にすげなく宗三が返すので、思わず小さく笑ってしまった。あちらでは長谷部と陸奥守が噴き出したのが分かった。
「気を付けてください。待ってます」
分かった、とそれぞれの返事が聞こえて、それから通信は切れた。何も知ることはできない状況で、けれど先程までより恐怖はなかった。信じようと思えた。信じることがこんなに大変なことだとは知らなかったけれど。
「主、頑張りましたね」
「……宗三さんも、ありがとうございます」

その日、第一部隊が初めて阿津賀志山を越えた。