第一話

無事に東の国での祝祭を終えた彼らの帰還に真っ先に駆けつけたのは、魔法舎で二人の帰りを待ちわびていたアリエッタだった。期待と不安で玄関へ向かった足は、目の前の惨状にぴたりと止まる。
「ヒース……シノ……?」
なんとか、血の気の引いた唇で彼らの名前を呼ぶのが精一杯だった。僅かな風に掻き消されてもおかしくないほど弱々しい声は、それでも帰ったばかりの二人の耳に届く。
「…………」
そんな少女の反応を予想していた彼らも、掛ける言葉までは用意していなかったようだ。驚愕と非難の籠った視線を正面から受け止めることも、かといって北の魔法使い達のように横を素通りしていくこともできずにそこへ立ち尽くす。
「なんで、こ、こんな……! け、怪我は大丈夫なんですか!?」
「だ、だいじょうぶだよ。傷も今は塞がってるから」
なんとか答えるヒースクリフだがその笑みにも力が無い。実際、彼らがレモラに負わされた傷は深く大きいものだ。スノウとホワイトの治療で傷は塞がったとはいえ、失われた血がすぐに戻るわけでも襤褸になった衣装が元通りになるわけでもない。
「こんな大怪我をするなんて、一体何があったんですか……?」
「それは──」
「エッタには関係ない」
保護者としての責任でか真っ先に口を開こうとしたファウストだったが、それよりも早くぶすりと不機嫌な声が彼女を突っぱねる。腹部を中心に衣装を赤黒く染めたシノが真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「関係ないことはないだろう。この子がお前達を心配するのは当然だ」
ファウストの窘める声にシノの視線が気まずそうに泳ぐ。不服なのは変わらずとも、逆らう言葉は持たなかったのだろう。どうにか言葉を探そうとしているシノの姿を見て、アリエッタの頭から腹の辺りまでがすっと冷えていく。どうやら彼はありのままを話すつもりがないようだ。そう思ってしまった以上、普段は不遜な彼が珍しく頭を下げたところで溜飲が下がるわけがない。
「オレがヒースを守りきれなかった。オレが悪かった」
「別に謝罪が聞きたいんじゃありません」
今度はアリエッタが彼の言葉を斬り捨てる番だった。いつもの溌剌さを削ぎ落とした温度のない声音がシノを誠意を拒絶する。
対して、シノの空気の変化をヒースクリフはその鋭い感受性で感じ取る。それは自分と彼の間にもよく生じるものだったから、それ故にこの会話の先に起こることの予想がついてしまった。
「シノ、何があったかを教えて下さい」
「お前には関係ない」
注意されたばかりの同じ台詞を繰り返したのはわざとだと全員が気が付いたし、アリエッタも例外ではなかった。愛らしい顔が怒りと不愉快に染まる。
「エッタ、どうか父上達には言わないで……」
今の状況のみを伝えられれば両親は心配するだろう。それだけは避けたいヒースクリフの懇願に、とうとう彼女は顔をぐしゃりと歪めて頭を振った。
「っ!…… 危険なことをして、それを私に教えてくれないのなら! 信じられないじゃないですか!!」
息を切らせながら思いの丈を吐き出される。最後の方は嗚咽混じりの悲鳴になりながらも、場の空気を震わせるには充分だった。
「エッタ」
スカートを握りしめるのに力を入れすぎた手は白くなっている。反射的に駆け寄ろうとしたヒースクリフの腕をシノが引いて強引に制した。自分より背の高い友の動きを止めるほど強い力で、表情の窺えない鮮やかな緋色は真っ直ぐに少女を見据えていた。
「旦那様にも言えばいい。オレの言ったことは事実だ」
なんでもないことのように言う彼だが、もしも敬愛する領主から非難されるようなことになれば平気でいられる筈もないのに。それほどまで彼を意固地にさせる理由が分からず、アリエッタの心を掻き乱す。今まで彼に預けていた信頼を熨斗をつけて返された気分だった。
「……二人は怪我人だ。休んでから、ゆっくり話したらどうだい」
悪い方にしか進まない言い合いに助け舟を出したのはファウストだ。
「アリエッタ。この子達は僕の判断で動いた。僕で良ければ、分かる限りのことは伝えよう」
「うぅー……、は、い……」
それでも、一度外れた箍は簡単に元に戻るものではない。喘ぎながらもなんとか頷いたまでは良かったが、そのまま彼女は背中を丸めてしまった。外敵から身を守るようにぎゅっと縮こまり、顔を埋めた膝の隙間からくぐもった涙混じりの声が聞こえる。
「……アリエッタ、大丈夫か?」
真っ先に動いたのはネロで、彼はアリエッタの傍に膝をつくとその背中を宥めるように撫でた。ヒースクリフもシノも今までそんなことをしたことがない。蹲る彼女の背中が記憶のものより小さく見えた。
痛みに耐えているように見えるその姿に、彼女を傷つけたのは他でもない自分達なのだと思い知る。
シノは憮然と口を一文字に結んだまま、ヒースクリフは行き場の無くなった手を隠すように下ろし、ただ立ち尽くしていた。