第四話

──わたしの方がお姉さんだからね、困ったことがあったら言うのよ。
初対面でそう宣言した通り、出会った頃からアリエッタはたびたびシノの世話を焼いた。庭仕事に励む彼のところに来ては、あれやこれやと頼んでもいないのに手を出しては帰っていく日々。
「アリエッタ嬢ちゃん、シノをあんまり困らせんでやってくださいね」
シノに仕事を教えてくれる庭師の男はそう言いながらいつも二人を見守った。そしてその都度アリエッタは頬を膨らませて言い返す。
「大丈夫! 今はシノにいろいろ教えてあげてるの!」
確かに彼女はブランシェット領のことや城での仕事、領主やその息子であるヒースクリフについてをシノに語って聞かせた。此処での仕事がどんなものか、どれだけ大切で誉れ高いことか、自慢げに話す。
そしてそれと同じくらいシノの話を聞きたがった。孤児で路地に転がっていたときの話をすれば分かりやすく顔を顰め、理不尽な扱いを受けたことを聞けば顔を真っ赤にして怒る。
そんな中で、シノが文字を書けないことを知るとアリエッタは驚きで目を丸くした。
「シノ、字が書けないの?」
「習ったことがない。必要なかった」
「なら私が教えてあげるわ。自分の名前くらい書けなきゃバカにされるもの」
少女の言い分は素直で取り繕いようが無かった。シノも今までの経験から、知識を持たない者は何も得られず搾取されるだけだと身をもって分かっていた。彼女の厚意を断る理由も無い。ブランシェットに貢献したいシノにとっては願っても無い機会だった。
「いいのか?」
だが、シノは見返りのない施しを受けたことがない。何も持たない子どもだって労働を求められていたのだ。此処に来てから生活は大きく変わったが、それでも毎日の仕事があるからこそシノは此処にいられる。
彼の言葉にアリエッタは「どうして?」と首を傾げる。おかしなことを聞く、と笑顔に呆れを滲ませながら。
「当たり前でしょ。シノはこれからブランシェットに仕えるんだもの」
そう言われると納得がいった。彼女が全くの善意で言っている訳ではないと知ればシノは躊躇うことなく頷いた。少女からはブランシェットの力になることを求められている。ならば、シノに出来るのは、その気持ちに報いるよう努力することだけだ。

南の国の魔法使いであるフィガロは突然の来訪に驚くこともなく二人をにこやかに迎えた。ヒースクリフに事情を説明されると、嫌な顔ひとつせず二人の容態を診て必要な処置を施す。
「うん。もう膿むことはないと思うけど、もし痛みがぶり返すようならこの薬を飲むんだよ」
「ありがとうございます」
「あぁ」
頭を下げて礼を言うヒースクリフと小さく頷くだけで済ますシノは分かりやすく対照的だった。そこには深く突っ込まず、フィガロは己の好奇心も混ぜながら軽い調子で世間話を振った。
「なんだか曰く付きの村とは聞いてたけど、大変な目に遭ったみたいだね」
双子のおかげで傷は塞がっていたとはいえ、残された気配からも彼等の怪我の酷さが窺える。だがシノは、ふん、と鼻を鳴らして応えた。
「別に。オレはもっと強くなりたいんだ。これくらいどうってことない」
それが強がりや意地から出た言葉ではないことはすぐに分かった。彼には一切気負った様子がない。目的のためならば無茶を厭わない性質は彼自身のものなのだろうが、彼らの師であるファウストに通じるものを感じる。
「まだ若いうちから無茶をするんじゃないよ」
若さゆえの無鉄砲さというのだろうか、それでも南の兄弟には無いその危なかっしさを見ていると、つい老輩ぶって口を出してしまう。シノは相変わらず素直に頷きはしない。
「無茶でもなんでも、オレは強くなりたいんだ。強くなきゃ意味がない」
そう彼が口にした途端、隣のヒースクリフの纏う空気が変わった。目からさっと温度が失われていったのにシノは気付けていない。その言葉を引き出してしまった責任もあると、フィガロは口を挟んだ。
「君の都合は分かったけど、あんまり周りをハラハラさせないようにね。あの幼馴染の子とは話した? あの子、昨日からずっと君達を待ってたんだよ」
そうフィガロが言えば、二人は揃って押し黙った。気まずそうなところを見ると既に喧嘩でもしたのかもしれない。
「心配されるのも悪いものじゃないだろう? 帰りを待って料理を作っているなんていじらしいじゃないか」
そう言いながら脳裏に浮かぶのは普段ミチルやルチルから掛けられている言葉達だ。「もう、フィガロ先生」なんて、呆れながらも気遣いがみられる優しい声。そこに含まれているのもきっと、ある一種の愛情ではないだろうか。
けれどシノは不機嫌な顔で首を振った。
「別に、アイツはそんなことしなくていい。アイツが気を揉んだところで何も変わらないのに。余計なお世話だ」
「シノは言い方が悪いんだよ」
ずっと黙っていたヒースクリフが強い口調で咎める。普段の自信なさげな態度からは想像もつかないほど険しい顔をしている。
「言い方ってなんだ。アイツに取り繕う必要があるのか」
それに対してシノが素直に聞くはずもなく、言い返す口調も自然ときつくなる。
「取り繕うとかじゃないだろ、エッタの──」
「はいはい、ここで喧嘩しないでくれる? フィガロ先生の診察はおしまいだよ。あとは精のつくものを食べてしっかり休みなさい」
この部屋で喧嘩を続けられては堪らないと割り込むと、二人はあっさりと頷いて立ち上がった。そうして部屋を出るときもフィガロへの礼は忘れずに一緒に出て行く。全くもって不思議な関係である。
「……大変だなぁ」
閉まった扉の向こうに届くはずもない独り言を、構わずフィガロは口にした。
「そうまでして離れる気はないんだから、余計に大変だろうね」