脚に掛かる重みと温かさを愛おしく思いながら汗で湿った額に手を伸ばす。目元を隠す前髪を掻き分け指先を頬へ滑らせれば、酒の一滴も入っていないにも関わらず赤らんでいる頬はやはり熱かった。
柔らかい髪の毛を梳くのを何度も繰り返しながら大広間の様子を見渡す。今晩は普段の宴会よりも残っている刀剣男士の数も多い。普段は酒を飲まない刀達も今日だけは特別という訳だ。
「賑やかだね」
「…………」
返事がないことを承知で話しかける。
みんなと一緒に年越しをするのだと意気込んでいたは良いが、お祭り騒ぎに浮かれる宴会の雰囲気にはしゃぎ過ぎたのだろう。普段の就寝時間より早い時間帯で電池が切れたようにくたりと動かなくなってしまった。壁に掛けられた時計を見れば日付が変わるまであと1時間もない。良い頃合いで起こしてあげなくては。
「飲んでいるか、山姥切」
湯呑を片手に鶴丸国永がやってくる。そういえば彼が酒を飲んでいるところを見たことが無い。おそらくその中に入っているのも茶だろう。
「楽しんではいるさ。ありがとう、鶴丸」
「動きたくなったらいつでも代わってやるからな」
「ふふ、まだ大丈夫かな」
にぃ、と膝に頭を預けて眠っている彼女を指して笑うのに俺も笑顔で返す。代わるつもりはないけど、という言外に込めた思いは正しく伝わったらしい。彼はあーあと演技めいたしぐさでがくりと肩を落とした。
「去年までは俺の場所だったのになぁ」
彼の言葉に、自分も去年はどうしていただろうかと記憶を探ってみるが全く記憶になかった。年の暮れには配属直後から1か月以上続いたすれ違いが解消していたことは覚えている。が、その年末はどうしていたかさっぱり思い出せない。つまりそれくらいのものだったのだろう。時間を見て起こしてやってくれ、と言い残して去っていく彼の後姿をぼんやりと眺めながらそれ以上考えるのは止めた。
それから暫くは賑やかな光景を楽しんでいたが、時間が経つにつれ一つの生理的欲求を誤魔化せなくなってきた。
(喉が渇いたな……)
机の上に置いてあるグラスはとうに空になっている。声掛けられたときに併せて頼めば良かったと思ってももう遅い。とはいえ各々楽しんでいるのを呼び止めるのも気が引ける。我慢できなくはないのだから諦めるか、そう考えた矢先だった。
「山姥切、どちらにする」
いつもの内番姿から襤褸布だけ剥いだ姿の山姥切国広が両手に皿を持って近付いてくる。
「それは……」
「宗三が作っていたお菓子だ。こっちが蜜柑、こっちは小豆だ」
片膝をついて差し出された皿の上にはそれぞれを寒天に閉じ込めてつやつやと光る水菓子があった。見た目からして涼やかでつるりとした喉越しも想像に易い。山のような料理と酒が落ち着いたこの場の口直しとしてはぴったりだ。
「では蜜柑を頂くよ、ありがとう。……そうだ、国広」
片方の皿を受け取り机の上に置いた。そそくさと去っていこうとする彼を呼び止める。
「……なんだ」
「すまないが茶も頼めないか。俺は此処から動けないから」
「あぁ、それくらい任せておけ」
そう言って近くの机へ向かうと急須と未使用の湯呑を持ってきて、そのまま残っていた中身を湯呑に注ぐ。手渡された湯呑を受け取り、礼を言ってほとんど味がしない茶で喉を潤す。彼の大雑把さがよく伝わってくる。
彼が去った後、壁時計に目をやれば日が変わるまで残り10分になっていた。心なしか皆そわそわしているようで、中には酒に潰れた者を起こそうとする者もいる。
そろそろ時間か。
「主、起きようか」
ふくふくと頬をつついてみてもまだ彼女は夢の中、掛けてあげたジャージの上から肩を何度か叩いてみると少し寝息が乱れる。もう一度「起きて」と声をかけた。
(このまま起こさなければ独り占めなのかもしれないけど)
そんな誘惑よりも大事なものを知っているからこそ実行しようという気にはならない。それに既に自分だけのものは貰っている。
「啓、起きて」
顔を寄せて彼女にしか聞こえない声で呼ぶと、瞼が小さく震え数度瞬きした後でまだ眠気のとれない瞳が此方を映す。そして俺だけが独り占めできる大切な名前を口にしたのだった。
年越しの瞬間
