渡された道具がどういうものかは知っていた。それを審神者が純粋な厚意でくれたのだということも。
「お守りは渡しますけど、無茶するのはダメですよ。使わないのが一番なんですから」
そんな彼女に対して自分はなんと答えただろう。
……一瞬にして感情が抜け落ちた顔を見て、やってしまったと気付いたときには既に遅かった。
「撤退するぞ」
「んでだよっ!」
部隊長の和泉守兼定の言葉に反射的に食ってかかるが、それが合理的な判断であることは同時に理解していた。実際、自分の腹から流れ続ける血が足元を汚し、足を踏み出す度に鈍い痛みが傷口に響いているような状態で無理を押して進軍することが愚策であることなど肥前自身も分かっている。
「お前の経験積みなんだからお前が戦えなきゃ意味ねぇんだよ」
故に短気と聞いていた彼が冷静な声で窘めてくるのに反論する気も起こらず、わぁったよ、と不承不承ながら頷く。肩を貸してこようとした鳴狐に気づかないふりをすればそれ以上迫ってくる様子は無かった。
前を歩く浅葱色のだんだら羽織を視界に入れながら頭を過ぎるのは本丸で待つ主の姿。こんな自分を見てあの顔はどんな風に歪むのだろうか、それは決して愉快な想像ではない。
時空を越え本丸の門を潜れば、和泉守の連絡を受けてから待機していたと思われる主と近侍の姿。少女は肥前の姿を捉えると一目散に駆け寄ってくる。
その光景に背筋が凍った。自分の傷と同じ痛みを彼女に与えるのではないかという恐怖。
「肥前さん! 」
「近付くんじゃねぇ……!」
「なっ……!」
振り絞るように吐き出した忠告は抜き身の刀のような鋭さをもって襲いかかった。けれど動きを止めることもなく、むしろ眉を吊り上げて彼女は声を張り上げる。
「手入れなんですから近付くに決まってます!!」
その勢いに動きを止めたのは肥前の方だった。彼女の後ろから追ってきた今日の近侍は満身創痍な昔馴染みの姿を見て、しかし、からりと笑った。
「なんや、肥前。抱えて行っちゃろうか」
「いらねぇよ!!ぐっ……!」
「ケンカしないで、一大事なんですから!」
言い返そうと力を込めたせいで腹の傷に響き呻き声がもれる。すっかりご立腹の主が勢いのまま腕を捕まえてこようとするのは意地でも避け、その脇をすり抜けて手入れ部屋へ歩き始める。おとなしく手入れされろよ、と背中から聞こえたのは部隊長の声で、それには一切返さず只管足を進めた。
後ろから慌てて駆けてくる足音が隣に並ぶのに視線をやれば、頭一つより更に下の位置から此方を見上げる視線とぶつかる。
「心配しなくても私は斬れません」
「心配なんざしてねぇ」
「使い捨てなんて絶対しません」
「……それも分かってるよ」
あんな皮肉めいた一言を此処で持ち出してくるのか。餓鬼かよ、と内心で悪態をつく。しかし、少し思い返してみれば十数年生きた程度の子どもなんて自分達どころか元の主達と比べても若すぎる。餓鬼と呼んでも間違いではないのだろう。
「手入れが終わったら、教えて下さい。肥前さんのこと」
第一印象に比べるとかなり頑固な性格のようだ。彼女の問いに否とも応とも言わずに無視を決め込めばそれ以上の追求は無く、だがこれで終わりという訳でもないだろう。なんとなくそう思った。
思わず零した溜息をどう勘違いしたのか、「やっぱり陸奥守さんに運んでもらいますか?」と見当違いなことを言い出す彼女に突っ込む気など最早無くなっていた。