Mailbox

(カイン)

魔法舎の生活において、アリエッタには朝食の支度をするより先にすべき一つの日課があった。今朝も例に漏れず、部屋から出てまず正門に向かい設置されたポストを覗き込む。ときどき入っている郵便物の中に主君宛のものがあればそれを抜き取って送り主を調べる。
今日の送り主が名前に覚えのある貴族のものだと知り思わず顔を顰めた。
賢者の魔法使いへの依頼は中央の国の魔法省を通されるためここが使われることはない。このポストは主に個人宛の郵送物に使用されている。その中でヒースクリフに宛てられた手紙を把握することが彼女の仕事だった。
まだ朝の営みか始まる前の静謐な空気はどこかブランシェット城のものに似ている。少しだけ夜を残し、草木の匂いを瑞々しく含むそれを吸い込んで深く息を吐く。そうすることで広がりそうだった苛立ちを追い出そうとした。
(あら……鍛錬かしら)
軽い足音が一定のテンポを刻んで中庭を走っていく。音の方へ視線をやれば普段よりラフな格好をしたカインが走り込みをしているところだった。朝の鍛錬をする彼の姿もときどき見る光景で、そこにシノやレノックスが混ざることもある。
彼が気付いていないのならば、あえて声を掛けて邪魔をすることもない──そんなアリエッタの躊躇いは一瞬のうちに無用なものとなった。
「ん? そこに誰かいるのか?」
中央の国の騎士団長を務めた彼が一般人の気配に気付かないはずも無いのだ。彼に不審を抱かせぬよう、すかさずアリエッタは一歩を踏み出して声を上げた。
「カインさん、アリエッタです。おはようございます」
「あぁ、アンタか。何処だ?」
そう言いながら片手を挙げて待つカインに小走りにで駆け寄って手を合わせる。乾いた音ののち、色違いの双眸がしっかりとアリエッタの姿を映すと朝焼けの色をした右眼が笑みを浮かべた。おはよう、と朝の空気を壊さない爽やかな挨拶。おつかれさまです、と労りの言葉を返したアリエッタの手に握られたものを見つけてカインは小さく首を傾げた。
「なんだそれ。……ヒース宛か? 顔を見るからにいいものではなさそうだな」
「良くはありませんよ。旦那様がご健在なのにまず坊ちゃんへ連絡を取ろうとすること自体怪しいものですから」
「ふぅん……大変だな。どうするんだ、それ」
彼もこの魔法舎においては似たような立場にある。だからだろうか、彼女の行動を知っても咎めたり眉を顰めることもなく先を聞きたがった。
「読んで判断します。大抵はヒースへ通しますが中にはわざわざあの方の目に触れる価値が無いものもありますから、そのときは私で対処します。度が過ぎる場合は旦那様達にもお伝えしなくてはなりません」
はぁ……、と理解出来たのか出来なかったのか分からないような曖昧な返事だった。
「俺には難しそうな仕事だ……あんたは凄いな!」
そう言って、言葉通り難しそうな顔をして唸る彼には確かに不向きな仕事だろう。ややこしい言い回しや遠回しな皮肉が含まれる書面なんて読んでいて楽しいものでもない。
彼から向けられた賛辞に笑顔で返す。彼に出来なくて私に出来ることがあれば、逆もまた然りである。
「私は剣をもってお守りすることは出来ませんから。そのあたりは適材適所でしょう」
彼が掲げるその剣もまた、主を守るために必要とされるものであり、私が得られないものなのだから。