(ファウスト視点)
「なんで食べちゃったんですか! シノ!」
魔法舎の廊下、ファウストに届いた怒声はたまたま開け放たれていた窓の外からだった。誰かが開けっ放しにした窓からは涼風が夏の名残とともに溌剌とした声を運ぶ。何処に行くでもなかった彼は窓際に寄って声の主を探し、眼下の中庭にその姿を見つけた。想像通り名前を呼ばれた教え子の姿もあり、彼らの様子に頭が痛くなる。
「あんなところに置いてあるのが悪いだろ」
「あれは準備の途中だったんです。下拵えをして、夕食後に出す予定だったんですよ」
なんてことはない、いつもの喧嘩だろう。大抵はシノの言動がきっかけになっていることが多く、巻き込まれたり話を聞いた中では深刻な理由で勃発したこともない。今回とてきっと同じことだ。ファウストは遅い朝食にしようとしていたところだったので、まあ朝から元気なことだと感心する。
「食べちゃったんだからほら早く、市場に行って買ってきて下さい」
「別に今日のデザートがナッツの蜂蜜漬けである必要なんてない」
「それは理由にならないでしょう!」
気付けば彼らの喧嘩が気になって足を止めていたファウストを現実に戻したのは、彼の名を呼ぶ静かな声とそれを邪魔しないくらい小さな足音だ。レノックスは窓際に佇む主の姿と窓の外を交互に見て口を開く。
「ファウスト様、朝食はとられたんですか」
「これからとるよ」
事実には違いないが、このタイミングで口にしたことで言い訳のように響き、ばつが悪い気持ちになった。彼を前にすると自分がまるで意地を張った弟のようになったような、変なむず痒さと羞恥が走る。
「もぉーっ!言い訳しないの!」
一際大きくなった声に視線を中庭へ戻す。
彼女が右手を振り上げるのが見えて、あっという間もなかった。パシーンッと軽快な音はこちらまで聞こえてきて、けれどそんな力も強くないだろうに、背中を叩かれたシノは大袈裟に身体を跳ねさせた。
「ッ!人に向かって手をあげる淑女がいるか、馬鹿!」
「つまみ食いする人に言われたくないですよ、馬鹿!」
ファウストの肩越しに中庭を見下ろしたレノックスは彼らを見つけて眼鏡の奥の眦を下げた。纏う雰囲気が僅か柔らかいものになる。
「微笑ましいものですね」
「そうか?」
まだ続くだろう喧騒から目を逸らして食堂へ足を向ける。放っておいても決着はつくだろうし、ここにはお節介を焼いてくる相手なんていくらでもいる。
「騒がしくて、世話が焼けるだけだよ」