「何日かかると思ってる。しかも一人で何かあったらどうする気だ」
私用のためブランシェット城に戻ろうとしたアリエッタは、アーサーが勧めてくれたエレベーターの利用を丁重に断り馬車を乗り継いでいこうとしていたので、ヒースクリフとシノの二人が慌てて止めた。
「急ぎの用事ではありませんでしたから……。わざわざ私一人のためにエレベーターを動かすのは申し訳ないでしょう」
「オレかヒースに声を掛けろ。一緒に行けばいいだろう」
「シノも折角の休みだったじゃないですか」
「ちょうどシャーウッドの森も見たかったからいいんだ」
タイミングよく時間が空いていたシノが連れて行ってやると言い出し、結局ほうきに乗って二人で里帰りをした。用事自体は滞りなく終わり、帰りにシャーウッドの森にも寄りつつ、今はその帰り道で彼の後ろで揺られている。
雲ひとつない快晴の下、森の中では気にならなかった陽射しが今では容赦なくアリエッタの体力を奪い、口を動かすのも億劫にさせた。今日の気温はこの時期の平均よりかなり高く、終わったと思っていた夏が戻ってきたかのように暑い日だった。
「エッタはいつもオレに無茶するなとか言うくせにお前も人のこと言えないぞ」
「うぅん……」
「エッタ?」
どんどん覇気を失っていく声音を不思議に思ったシノが背後を振り返り、地上で見たときより赤く見える少女の頬に目を瞠る。
「具合が悪いのか」
「うぅ、ちょっと暑くてぼうっと……」
それを聞いたシノの判断は早かった。
休むに良さそうな木陰を見つけてぐんぐん高度を下げていく。周囲に獣の気配がないことを確認すると、くたりと力の抜けた身体を丁寧に箒から下ろし、服が汚れないように自分のマントを下に敷くとその上に座るように言った。アリエッタも礼を言って素直に腰を下ろす。乾いた草の匂いと枝葉に遮られて少し和らいだ陽射し。どこかも分からない丘の上で、彼らの他に人の姿は見当たらない。
「横になるか。一休みしてから行けばいい」
シノの提案に彼女は反論もせず緩慢な動作で身体を横たえた。余程堪えていたのだろう、痛みを逃がすようにそろりと息を吐いて肩の力を抜いている。僅かな動作でさえも痛みになるらしく、汗の滲んだ額に眉根が紫波を作っていた。
「マッツァー・スディーパス」
シノが呪文を唱えるとそよ風が起こり、彼女の火照った頬を優しく撫でていく。シノの前髪もあわせて揺れる。きもちいい、と囁くような声が風に泳いで消えていった。
眠る直前の今にもとろけそうな柔らかい声がしの、と呼ぶ。
「ありがとう、シノ」
思いがけない言葉にシノはなんて返せば良いか分からなかった。眠りに入る相手を邪魔できないとも思い、結局何も言わずにその一挙一動を視線で追う。
暫くして穏やかな寝息が聞こえ始めたので、それを見守ることにした。
礼を言われるようなことをしたつもりはない。それでも、彼女の笑顔を見ればシノは自分がとても重要なことをしたのだと思うことが出来た。
偶然見つけた木陰、いつも身に付けているマント、ささやかな風を起こす小さな魔法。大きな城や名誉、高級な宝石、そんなものでなくても今のシノが手に入れられる範囲の全てを彼女は喜んで受け取った。
そうして喜びをあらわにして「ありがとうございます、シノ」と笑うのだ。秋の寂しい空に花が咲いたように、人を明るくさせる華やかさと守りたくなるような健気さを兼ね備えた笑顔で。アリエッタという少女は決してシノが守らなければいけないか弱い存在ではない。だが彼女がシノの名前を呼んで彼がその手を取る、それが何者でもないただの小間使いをヒーローにする合図だった。
ふと上を見れば、青空の中を鳥の群れが南に向かって飛んでゆくのが見える。冬を越すためだろうか。彼らは身一つで何も持たず、ただ大切なものと連なって飛ぶ。シノもアリエッタの隣に寝転がると、少しだけ空が遠くなり代わりに無防備な寝顔が近くなった。
世界中の誰にとっても取るに足らないような、すぐ手を伸ばせるそれが、今のシノにとっては掛け替えない宝物のひとつだった。
心のさすほうへ
