「あぁ、第二部隊がもんてきちゅうね」
近侍の陸奥守の台詞に顔を上げれば、思ったより時計の針は進んでいた。書き物に集中していたせいで時間を忘れていたらしい。彼の声で集中の糸が切れた途端、部屋の外の音が一気に耳に飛び込んでくる。正門のあたりが賑わっているのは、彼の言う通り、出陣に出ていた彼らが帰ってきたのだ。
「迎えに行きましょう」
言うやいなや執務室から飛び出す。いつもと変わりない営みを続ける本丸を通り抜けて正門に辿り着くと、第二部隊の彼らはちょうど玄関から母屋に上がろうとしているところだった。声をあげようとして、遠目に第二部隊の面子を見ながら何処か違和感が刺さった。空いた口がそのままの形で固まる。
「大将、大変だ」
違和感の正体に思い当たるより先に、隊員のひとりである薬研藤四郎が審神者を見つけて声をあげた。その言葉にさっと血の気がひいていく。戦場に出ていた彼らが大変だと理由などひとつしかない。同じく審神者を見つけた第二部隊隊長の山姥切国広が駆け寄ってくるのを上から下まで怪我が無いか確認する。彼はふらふらと揺れる少女の視線に合わせるように身を屈め、安心させようと碧色の瞳に微笑を浮かべた。
「大丈夫だ、主。誰も怪我はないんだがよく分からないことになった」
「よく……わからないこと?」
「あるじ」
「長義さ、──?」
柔らかい声が自分を呼ぶのに声の方へ顔を向けると、それと同時に視界を何かが過ぎった。瞬間、無意識に息を詰める 。
「桜やないか」
驚いた陸奥守の声でその正体を思い出す。第二部隊のひとりである山姥切長義の周囲を桜が絶えず生まれ、風に遊ばれながら地面へと落ちている。その行方を追ってみると、地について数秒としないうちに姿を消している。
「え……どうしてですか?」
「うん、何でだろうね。でも似たような現象を聞いたことがあるから、政府に問い合わせてみようか」
当事者である長義だが慌てる様子はなく肩を竦めて苦笑を浮かべている。その間も彼の周りを舞う桜は止まらない。目の前の薄紅色の花弁は本物の桜よりも色が薄く、午後の陽光を透かして雪のように白く輝く。思わず手を伸ばして触れてみるが、雪とは違うので溶けることもない。
「あっコラ!食べるんじゃない!」
手にした花弁を口に含んだ少女にに長義は飛び上がり、それを眺めていた彼の写しは噴き出してからしばらく笑い続けた。
(未来の話)
障子越しの光が部屋全体を柔らかく照らす中、あ、と小さな声が朝明けの部屋に落ちた。既に覚醒を終えていた長義がそちらに視線を向けると彼女の指先にあるものが目につく。
「見てください、長義さんの桜、残ってますよ」
啓が真白の寝具の上に淡く色づいたそれを摘みあげてかざして見せる。この花弁の正体とメカニズムは何年経っても解明されないままだ。もしかすると既に研究は匙を投げられているのかもしれないが。
「本当だね」
頷きつつ、どうして桜が生まれたのか昨夜の行為を思い出しては内心首を傾げる。情を交わしたことは初めてではない、自分がそこまで浮かれていたというのだろうか。そんなふうに注意が逸れた一瞬の間に、それが当然であるかのように彼女はそれを口元に持っていく。砂糖菓子を口に含むようにそっと唇の上に乗せ、制止の声をあげるより早くのぞいた舌が掬った。んべ、と先端に乗った花弁を見せてくる彼女は楽しげに笑っていて、怒られることをわかっている子供の顔をしている。
だから食べるんじゃないよ──そう突っ込みそうになり、けれどそれよりも違う意味で皮膚の内側がざわめく。薄紅の花弁も、それを乗せる薔薇色の唇もこちらを誘っているように美味しそうに映り、引き寄せられるように唇を寄せた。
「っん……!」
その花弁に舌で触れても当然何の味がするわけでもなく、ただ引っ込んでしまった舌に触れば小さく跳ねる身体に気を良くする。ん、んぅ、と甘く上擦った声が鼻から抜けて長義の耳元をくすぐった。
こんな朝日の中で夜の続きが始まる錯覚がする。これはいけない、と口を離していつの間にか自分の方への移っていた花弁を嚥下した。
「おいしかった?」
「あ、味なんてわかんない……」
「昔からよく食べてたじゃないか。ねぇ、ほら」
揶揄われたと思ったのか、むぅと唇を尖らせる姿に笑みがこぼれる。そんなところは小さい頃から変わっていないのだ。だが、落ちていた別のひとひらを摘んで顔の前に持っていったとき、彼女の目が期待に揺れたのを長義は見逃さなかった。
「はい、口を開けて」
おずおずと開いていく口元に薄紅色を乗せて、僅かな吐息でも浮いてしまう前に再び口を重ねる。ふたりの間の花弁はすぐにどこにあるか分からなくなった。