第一話

「写しは偽物じゃない」
偽物くん。そう呼べば当の本刃はため息をついてお決まりの台詞を吐いた。いつだって彼はそこから何も言い返しはしない。そのことが余計に俺を苛立たせているのだと知らずに。
「……長義さん」
「──啓」
気付かなかった存在に息を呑んだ。
翻された奴の襤褸布の向こうから見えていなかった姿が露わになる。山姥切国広の身体に隠れてしまうほどの矮躯──しかし記憶より随分と成長した子どもがそこにいたのだ。
「山姥切さんは偽物ではないです。おふたりともが、山姥切じゃないですか」
審神者でありこの本丸の主である彼女は言いづらそうに顔を歪めながらも、はっきりと口にする。見たことの無い表情だった。子どもらしくない表情。そんな顔、昔はしなかったのに。
「山姥切さん」と彼女が呼ぶのは写しのことだ。審神者と刀剣男士として彼らが過ごした年月が長いぶん、その呼び名は慣れ親しんだ音の一つになっている。俺がそう呼ばれるにはまだ本丸での時間が足りない。
(分かってはいる、が……)
君が初めて出会った「山姥切」は俺だったのに。

俺──山姥切長義とあの子の出会いは彼らの本丸が生まれるより2、3年前の話になる。
政府配属であった俺が建物内を歩いていたとき、顔見知りの職員に呼び止められたのが始まり。俺の外見とあまり変わらない年頃の政府職員は、こちらを見つけると助かったと言わんばかりに目を輝かせた。
「まんばくん! ちょうどいいところに来てくれたよ~!」
手招きするほうへ何があったのかと近付いてみれば、彼が誰かと手を繋いでいることに気付く。それは自分達の腰くらいしかない背丈で、推測するに幼稚園児くらいの齢の子どもだった。
職員の子どもか、と思いかけてそうではないと思い直す。半年ほど前、時間遡行軍との戦いの中で保護された子どもがいるという話は人伝だが聞いたことがあった。
「この子は、20XX年で保護された子だったかな」
俺の声に反応して、きょろりと丸い瞳がこちらを見上げた。職員は「そうそう」と頷いてから困ったように眉を寄せたが、その口元は笑っている。
「それで、ちょっと今日から明後日くらいまで、この子見ておいてくれない……?」
「はぁ……」
「いやぁ、いつも見てくれる女の先輩がいるんだけどさ、インフルエンザになっちゃったから。大人しい子だから此処にいてもいいんだけど、こんなむさ苦しい場所にいるよりイケメンの顔見てる方がいいでしょ」
謎な理屈だ。しかも彼が本気でそう言っているのだと伝わってくる。子どもを邪魔に思っているのではなく、本当に言葉通りにそれがその子のためになると思っているのだと分かったのは幸か不幸か。
ちらりとそちらを見下ろしてみると、子どもはまだじっとこちらを見上げている。顔色を窺って決めようかと思ったものの、そこには怯えも無ければ期待といったもの見られない、まさに無だった。
はぁ、と吐いた溜息は呆れと諦めからくるものだ。俺のことをよく知る相手はそれが拒絶ではないことを知っているから平然と返事を待っている。
「任されようか」
別に逆らえない訳ではなかったが、断る理由も無い。相手が困っているのであれば助けるのは当然のことだった。
彼も断られるとは思っていなかっただろう、調子良く「さすがまんばくん!」と笑った。
彼の手を離れ俺の方にやって来たとき、初めてその子が困惑の表情を浮かべる。振り返った先では彼がお気楽に笑っている。
「また絶対迎えに来るからね、今はお姉さん休んでるけど、元気になったらまた会いに来るから」
「……うん、わかった」
可哀想に、この子どもには職員の彼の狙いも自分の置かれた状況も理解しきれていないのだ。けれど自分がこうしなければいけない、ということを薄々と感じているのだろうか。だからこんな戸惑った顔をしながら頷いてしまう。
職員は返事を聞くとひと仕事終えたと言わんばかりに晴れ晴れとした顔で仕事に戻って行った。
(というか、名前を言っていかなかったな……)
「きみ、名前は?」
「わたしは、啓です」
「啓ちゃんね、よろしく」
職員の彼と同じように手を繋いでみようかと差し伸べたがあちらから伸びてこない。顔を見れば視線がばちりとぶつかる。
ええと、と何かを思い出すようにもごもごさせながはその子は口を開いた。
「おにいちゃんは、まんばくん……?」
「それは俺の名前では……ない、かな」
思わず苦笑する。先程の職員の言葉を聞いていたようだ。けれど俺はこの子にそう呼ばせるつもりは無い。当然ながら、俺の返答に訳が分からないといったように首を傾げている。
「おにいちゃん、なまえは?」
「そうだね……」
今は名乗らない。いずれ審神者となるこの子を混乱させてしまうだろうし、それにいつか刀剣男士として名乗ったときに名前を呼んでもらえることを楽しみにしたいから。
「お兄ちゃんということにしておこうかな」
自分で言っておきながら突拍子もない発言だったと思う。どんな反応が返ってくるのか期待していると、その子はぽかんと口を開けた後少し間を置いて口元を緩める。
そして稚い顔がおかしそうに綻んだ。
「うそだぁ!」
そんな笑顔に釣られて笑いが零れてしまう。
「嘘ではないよ。此処では君のお兄ちゃんなんだから」