俺を見つけると目を輝かせて笑う姿が可愛らしいと思う。
「お兄ちゃん、これ見て!」
たった数日一緒にいればこの子どもが人懐こい性格だというのはすぐに分かった。初対面のときは単に緊張していただけで、丸一日、次の日も朝から傍に、と時間を重ねていけばそれも次第に解けていった。
これねぇ、と弾んだ声で話し始める。
「小学生のだって。わたし、まだ小学生じゃないのに!」
その表情は得意げで、褒められたいのだと伝わってくるから褒めずにはいられない。頭を優しく撫でて「よくやったね」と言うと彼女ははにかむような笑顔を浮かべた。
見て、と掲げられたのは子ども用漢字ドリルだった。そこには小学1・2年生用と書かれており100点満点の結果が出ている。
決められた時間だけは言われた通り勉強をすることがこの子の此処での唯一の仕事。
俺の方はといえば、緊急事態で彼女を預かった三日間を過ぎてからも足繁く通うようにしている。というのも、復活した女性職員やきっかけになった男性職員にそうしてほしいと非常に強く望まれたからだ。
比較的とはいえ年が近かったからか、と憶測だけはしてみるが本当の理由は知らない。知らないが求められているならばそれに応じない理由はない。
「勉強はこれで終わりなのかな」
「そうなの!おにいちゃん、一緒に遊べる?」
「遊べるよ。何して遊ぼうかな」
「だるまおとし!」
この場所で使える遊具は限られてくる。ここに来る前の彼女がどんな生活をしていたかなど知る由もないが、生きていた時代の文化からすると物足りないのではないかと思う。それでもその口から不満を聞いたことは無かった。
「啓はだるま落とし苦手なのに……よくやるね」
「ちがうの、あれは本当にむずかしいんだよ!?」
「はいはい。じゃあ今日もお手並み拝見かな」
いそいそと勉強の片付けを始める背中。こんな小さい身体なのに、「構ってほしい」という訴えを視線、声、仕草、と身体の全部を使って伝えてくる。
今までも政府勤務の刀剣男士として多くの人間と関わってきたけれど、こんなにも愛おしく感じたのは初めてだ。子どもという生き物だからいっそう庇護欲や慈しみといったものを覚えるのか、自分を慕ってくれる相手だから情が移ったのか。
「そんなに言うならお兄ちゃんがしてみたらいいよ!」
「ははっ、そんなに言うならお手本を見せてあげようかな」
「えぇー、できるの?」
唇を尖らせて拗ねる顔も、眉を寄せて首を傾げる姿も、すべて守るべき尊いものだ。彼女のこれから先の人生が幸福なものであるように願わずにはいられない。これ自体付喪神としての俺の本質だと言われても納得する。
俺にとって、この子の笑顔を見ることが幸せになっていた。
──おふたりともが、山姥切じゃないですか。
その言葉に何も返すことは出来なかった。俺の言葉はどれも君を傷つけてしまうと思ったから。
そうして、それから言葉を交わさないまま翌日を迎え、今日は加州清光と馬当番を割り当てられている。
「国広から聞いたんだけどさ」
藁を換えている最中に加州が口を開いた。
二振と馬しかいないこの場所には戦準備でなければ近付く者もおらず、密談というほど堅くない内緒話をするのには最適だ。
「昨日のこと、主が気にしてたんだって。山姥切を傷付けちゃったかもって」
「は?」
耳を疑った。加州が言う山姥切とは俺のことではあるが、あの子が俺を傷付けたことなど記憶に無い。
俺の記憶違いかもしれないと思って昨日言われた言葉を思い返してみる。もしかすると俺と写しの両方を山姥切だと言ったそれで、俺が傷付いたかもしれないと思ったのか。あの子は、そういったことを気にする子だったのか。
「……あの子が気にすることじゃないと思うんだけどね」
「アンタがそれを言う?」
眉を上げてじっとこちらを睨みつけてくる紅色の瞳。それに対して力なく首を振ることで返すと、加州は勢いを削がれたらしく溜息を吐いて肩を落とした。
「アンタが、自分から主を不快にさせるような刀だとは思えないんだよね」
「あぁ……」
そう思って貰えているだけで有り難い。それが俺自身に対しての信頼なのか、俺の昔馴染みである主への信頼かはさておき。
「俺はあの子を傷付けたい訳ではない。けれど、あの子にとっての山姥切があの写しだという事実が許せないんだ」
口にするだけで苦しくなる。
俺があの子にとっての山姥切でないこと、俺の言動が彼女を苦しめていること、そしてそれを止められない自分の情けなさにも向き合うことになるから。
加州は俺の言葉を最後まで聞き、少しだけ考えてから口を開く。
「たしかに、人々の認識はこの本丸の中だけで変えられる訳じゃないけど……。それでも、少なくとも、ここにいる俺達も主も、山姥切のことは山姥切だって思ってるよ。呼び方はどうであれね」
ゆっくりと探しながら紡がれた言葉。加州の手が止まったことで、鬣を梳いてもらい心地良さそうにしていた望月が彼を見上げた。彼の声音が感情に揺れていたものだったから、あしらうための適当な言葉ではないのだと感じられた。
今日の馬当番の組み合わせがきっと意図されたものだったのだろう。加州自身か、陸奥守か長谷部か、もしかすると審神者自身か。
俺のためを思って設けられた場なのであれば、それを使うのが礼儀というものだと思い、今まで思っていたことを口にすることにした。
「正直、君達には感謝しているし申し訳なく思っているよ」
俺の写しへの態度が周囲からどう見えているのか、良いように見えていると思えるほど気楽ではない。本丸に来て、彼が主とも周囲の仲間とも良好な関係を築いていることもすぐに分かった。
けれど此処の誰もが俺を非難することもない。眉を顰めて苦言を呈するのは審神者であるあの子くらいだが、あの程度が非難と呼ばれるならば、俺が写しに対する態度など本丸への謀反行為と言われても仕方がないものだ。
「家族が仲違いしてるところなんて見せたくないでしょ」
「……家族か」
「決めたんだよ、陸奥守や長谷部と。あの子の前では、俺達が大人としての手本になろうってさ。可笑しいでしょ、俺たち刀なのに」
そう言って歯を見せて笑う顔に自虐の色は見えない。言葉とは裏腹に、何も恥じていないのだと伝わってくる。
「いや……」
政府にいたとき、日々仕事に追われていた職員達もあの子の前では気を遣っていたことを思い出す。本来であればここにいる年齢ではない子の存在を窮屈に思う者もいたかもしれない。それでも彼女は邪険にされることはなかった。組織としていくら体裁があるとはいえ 、その中の全てが取り繕われたものだったとは思えない。きっと、そうあれと願った想いに形作られたもの。
「此処は本当にいい場所だと思う。俺も家族というものは分からないけど、あの子にとってこの本丸が安心できる場所なのだと伝わってくるからね」
厩の外、遠くの方から楽しそうな声が聞こえてくる。短刀だけではなく、刀派も関係無く、皆が和気藹々と日常を過ごしている。戦線で戦っている以上傷を負い血を流すことも困難が立ちはだかることもあるだろうが、それを乗り越える団結力を持っている。この本丸はそんな場所だ。
だからこそ自分が異質なことをまざまざと突きつけられる。
この場所で異分子にしかなれないのならば、ここに俺が来た意味は無い。