万屋街とは審神者のために作られた商店街で、そこに建ち並ぶのは必需品である資材や便利道具を売る店や甘味や娯楽を売る店など様々である。そして審神者のための、といえども利用するのは審神者だけではなく、往来にはむしろ刀剣男士の姿の方が目立っている。
昨日、急遽近侍を命じられた俺はそんな中を審神者と並び歩いている。
審神者も刀剣男士も関係なく行き交う万屋街だがお守りだけは審神者が購入することが決まりとなっている。この本丸では全ての刀剣男士がお守りを所持しているが、先日秘宝の里の報酬として顕現した豊前江だけはまだ持っていない。そのための買い物に来ていたのだ。
「あと何処か寄るところはあるかな」
「いえ、必要なものは買ったのでこれで大丈夫です」
万屋へ来たのは顕現してから初めてになるが、どういうところかは以前から知っている。ただ彼女と来るのは本当に初めてだった。
「すみませんでした、わざわざついてきてもらって……」
「君が謝ることじゃないだろう? 近侍の役目だよ」
俺を見上げる表情に申し訳なさ以外に戸惑いのようなものを見つけてしまって返事に小さな棘が入る。もっと彼女の肩の力を抜いて笑えるような言葉を掛けてあげたいのに。
「それより、長谷部くんからいきなり言われたけど俺が近侍で良かったのかな」
審神者が買い物に出る際に付き添うのは近侍の役目だ。
この本丸の近侍は初期の頃から陸奥守吉行、へし切長谷部、鶴丸国永の三振りでまわっている。何故なのか聞いてみたところ、近侍の条件は厳密に決まっている訳では無いらしいが、必要なスキルとして事務仕事をそつなく出来ること、どの刀とも問題なくやりとり出来ること、練度が高く審神者の護衛ができることが求められている。だからこの本丸の陸奥守吉行は書類仕事が得意であるし、へし切長谷部はどんな相手にも穏やかに話す。
「俺は新参者だし、近侍という器ではないと思うんだけど」
そもそも俺が誰とも問題なく交流できるかと言われるとまず写しの顔が頭を過る。確かに偽物という呼び方は止めるつもりだが、それだけで果たして問題がないと言えるかどうか。
「うーん……そんなことないと思いますよ。長義さんなら……うん、多分」
歯切れの悪い返答に、これは何かを隠している顔だと分かる。本当に言いたいことを隠して誤魔化している顔。何故、この子が俺にそんな顔をするのか分からない。
分からないことだらけだ。昔には無かったはずの距離が今は開き、その間に深く暗い溝が横たわっている。
それでも彼女は他の刀剣男士へとは違う視線を俺に向ける。昔に会った「お兄ちゃん」だから。それはもう『しがらみ』ではないだろうか。
「俺を気遣ってくれているのなら止めた方がいいよ。君は本丸の主だ、一振りだけを贔屓するような真似はいけない」
俺の言葉に傷付くだろうとは思っていた。彼女はまだ幼いから、昔優しくしてくれたひとに厳しいことを言われたらショックを受けるだろう。けれど、時間が掛かるけれど理解出来る筈だとも思った。だが。
「……長義さんがやりたくないならそう言ってください」
予想に反して、彼女は怒りの表情を浮かべていた。それでいて声音は固く、温度が感じられない。こんな顔、初めて見た。からかわれて地団駄を踏むわけでもなく、静かに温度もなく彼女は怒っていた。
「俺の話じゃなくて──」
「なんでわかってくれないの」
普段の敬語が外れ昔のような話し方をして、けれど昔より幼さが削られて地に足が着いたしっかりとした声音で。
こちらを睨みつける瞳が涙できらきらと光っている。目元も頬も赤くして、それより赤い唇が戦慄いて言葉を吐き出す。震えているそれは怒りを抑えているように見えた。
容量を越えた涙がぽろぽろと頬を転がっていく。
「なにを言ってもダメっていうのはなんで? 」
そんなことを言っただろうか、と内心首を傾げて記憶を辿る。呼び方のことならば、駄目と言ったつもりはなく彼女に無理をさせたくなかっただけなのだが。
俺が弁明する暇も与えられず、涙と一緒にぼろぼろと言葉が零れていく。
「イヤならイヤって言えばいいのに」
「なんで私のためっていうの」
「私はしてほしいなんて言ってない!」
声の勢いは次第に激しくなり、最後はほとんど叫び声だった。彼女の激情に張り手を食らわされたかのように頬がひりひりと痛む。用意していた言葉がごちゃごちゃと絡まって口に出来なくなった。
「な──」
「いじめは良くないな」
どこかで聞いたような声がした。
「は……!? おま、お前……なんなんだよ」
聞き捨てならない単語に声の方を振り向くと、俺ではないが俺と同じかたちをした刀剣男士──別本丸の山姥切長義がいた。その後ろには彼の連れであろう山姥切国広の姿も見える。
「同じ俺が子どもを泣かせているのは見過ごせないだろう」
「余計なお世話だ。首を突っ込まないでくれるかな」
「突っ込まれたくないのなら自分達が目立っていることに気付いたらどうだい? ほら、いい見世物だよ」
ぐるりと周囲へ逸らされた山姥切長義の視線を追えば、確かに俺達を中心に小さな人の輪ができていた。俺が見ていることに気付いた野次馬はさり気なくを装ってその場から立ち去っていく。
(くそっ……)
山姥切長義は悠然と俺達の傍に近寄ったかと思うと自然な動作で膝をつき子どもの視線に合わせる。そして同位体である俺でも目を見張るほど蕩けるような甘ったるい笑みを浮かべた。ぞわりと肌が粟立つ。
「可哀想に、可愛いお顔が真っ赤になってるじゃないか。涙を流したらそのぶん喉も渇くだろう、冷たい飲み物を買ってあげようか」
「触るな」
べらべらと話を続ける山姥切長義はあろうことか啓の髪に触れようと手を伸ばしてくる。驚きと戸惑いで彼女が下がった僅かな距離まで詰めようとする相手の腕が触れる前に、それを力いっぱい掴みあげた。
「痛いよ、折れてしまう」
「折れてしまえ」
「本科、行き過ぎると不審者だぞ」
漸く話ができる距離まで近付いてきた山姥切国広は奴の奇行に動じてはいなさそうだ。本科、と呼ばれた不審者直前の山姥切長義は「見ろ偽物君、捕まってしまった」と呑気に笑っている。それに対して肩を竦める動作だけで返事をした山姥切国広もどうやら彼を咎めるつもりはなく静観の姿勢である。
「山姥切長義が子どもをいじめてるなんて格好悪いにも程があるじゃないか」
「いじめてない」
「笑わせてくれる。泣かせておいてそんなことを言うのかな」
「……お前には関係ないだろう」
「子どもが泣いているなら、声を掛けなくては」
「本科の悪癖だ」
なんて高慢な山姥切長義だ。確かに、同じ刀剣男士は縁にしている逸話や以前の主が同じなぶん性格も似るものとはいえ、目の前の同位体は俺から見ると非常に性格が悪い。今までの自分の言動を振り返ってみてもこれ程ではないと自負がある。
「持てるものだからね。だから子どもを苛めるような山姥切長義を窘めるのも俺の役目かな」
「お前……巫山戯るのも大概に……ッ!」
「怒るな。子どもが怖がる」
あきらかに煽るのが目的な台詞にそのまま腕を折るか捻るかしてやろうかという発想が芽生えたそのとき、山姥切国広が俺達のあいだに割り込み俺の肩をぐいと押して距離を取らせた。彼の行動と何よりその言葉にハッとして視線を下に向けると、ぽかんと状況を掴めていない彼女は濡れた頬をそのまま不審者を見つめて固まっていた。
掴んでいた腕を払い捨て、慌ててその頬を拭う。
「………」
「ご、ごめん。驚かせてしまった、怖がらせてしまったね……大丈夫かな?」
「……っ、え?」
返事が返ってくることは想定していなかったけれど
一時停止していた時間が再び動きだしたかのようにぽろ、と零れていく。
「だいじょうぶ……っ、びっくり、しただけだから……」
(びっくりした、か……)
それはどういう意味でだろうか。目の前の山姥切長義の性格にか、それとも俺自身にか。
この子と出会ってから今まででこんな感情を顕にしたことなんてない。況してや我を忘れて怒るなんて。己の情けなさに対する自己嫌悪と羞恥で苦しくなる。感情に振り回されて格好悪い俺の姿なんて見せたくなかったのに。
「ごめんね、びっくりさせたね……ん?」
いきなり伸ばされた両腕に反応出来なかった。胴体に回された両腕がぎゅっと俺の腰を捕まえる。丸い頭が俺の服に押し付けられ、居心地の良いところを探すように擦りつけながら動き、すぐに落ち着いた。服越しに伝わる熱は普段より熱く、その内側で彼女の心臓が脈打つのが伝わってくる。
「びっくりしたから……」
くぐもった声が下から聞こえる。顔を見ることは出来ないが背中を撫でると硬く強ばって緊張しているのが分かる。そんな痛々しさを少しでも和らげたくてそっと撫でてあげると次第に身体から力が抜けていった。ほっとして、彼女に悟られないようそろそろと息を吐く。
そこで目の前の山姥切長義と目が合う。先程の憤りがぶり返してくるが彼女の前で口汚く罵るわけにもいかない。俺にしがみついたまま離れない審神者を見て、奴はやれやれと肩を竦めた。
「これ以上無理強いをすると俺も虐めているように見えるね」
「それが理解出来たなら何よりだ。帰るぞ、本科」
「はいはい……小さな審神者くん、またね。今度は君が笑ってる顔が見たいな」
写しに促された山姥切長義はすんなりと引く。余裕のある嫌味な笑顔でひらひらと手を振るのに、彼女が顔を上げてちらりとそちらの方を窺う。小さく上下した頭がその返事で、相手はそれに笑みを深くしたかと思うと俺を一瞥し、山姥切国広を連れて人の流れの中に消えていった。嵐が去っていったのだ。
「……大丈夫?」
問えば、離すまいとぎゅっと服を握り直された。その仕草に甘えられているのかとくすぐったい気持ちになり、それだけで乱されていた心の内が凪いでいく。触れた身体はすっかり緊張が解けているようだったが、それには気付かないふりをして背中を撫で続けた。
「いいよ、落ち着くまでこうしていようか」