そうと決まればふたりの行動は早かった。皆で集まる前に長谷部とは話し合いたい、陸奥守がその意志を伝えると審神者は迷わず頷いた。
「私も一緒にいきたいです」
断る理由はもう無かった。陸奥守も力強く頷きふたり長谷部の部屋に向かう準備を始めた。準備といってもなんてことはない、陸奥守は茶の用意をして、審神者は何故か戸棚の中のビスケットを箱ごと取り出した。手土産らしい。
「たぶん長谷部さん、このお菓子好きだと思うんです」
きっとそれはお菓子自体が好きなのではなく、それを審神者と食べる時間を好んでいるのだと思う。そう言おうとして止めた。誤解ならば──もしそれが誤解で、それを解きたいと長谷部が思うならば彼自身がなんとかするだろう。ほうかぁ、と気が抜けるような返事をして彼の部屋へと向かう。途中すれ違った石切丸がおやつを手にしている審神者を咎めようとしたが、口に出す前に陸奥守の方を見て何かあると察してくれたようだ。あたたかい笑みに見送られた。
「長谷部さん」
自室にいた長谷部は突然の来訪者に嫌な顔はしなかった。ただ話の内容が出陣のことだと分かれば途端に眉間に皺を寄せる。心の内を読もうかとするようにじっと鋭く陸奥守を睨んだ。
「今、か」
今ここで審神者がいるのにか、と訝しんでいるのが分かる。確かに、戦ごとに少女を関わらせたがらなかった筆頭は陸奥守だった。驚くのも当然だろう。
「おん、今。やけんど、ゆっくり、おてやわらかにな」
「勿論だ」
少し防衛線を張る。それに対して間髪を入れずに相手は答えた。審神者は手に持っていたビスケットの箱から一袋を取り出した。わざわざ封も開けて、長谷部へと手渡そうとする。
「これ、長谷部さん好きなやつです。どうぞ」
「いいえ、それは主が食べてください」
「なら半分こしましょうか」
長谷部は微笑みを浮かべてゆるく首を振った。拒絶というには柔らかな意思表示。提案する少女の声は弾んでいる。
「……うわっ!」
だが、両手でビスケットを割ろうとして悲劇は起きた。一枚のビスケットは半分どころか欠片と粉に変わり、残骸は袋だけでなく座っていた畳にも散った。少女は自分の手を見下ろし、粉が散らばった畳に視線をやり……それから陸奥守の方を見た。戸惑いと不安を入り交ぜた視線が彼に助けを求めていた。それに対して陸奥守は何かこの場を取り成す言葉を口にしようとして、やめた。先程の瞬間、咄嗟に見た長谷部の顔は驚きこそしていたが嫌悪は見られなかったから。
その代わり、審神者の視線に対して力強く頷いて笑って見せれば、人の顔色に敏い少女は不安を浮かべた顔を緊張で強張らせた。初期刀の意図を自分なりに汲み取ったのだろう。数十秒か、一分ほどか、少しの間迷う素振りを見せた審神者はおそるおそる長谷部の方を振り返る。長谷部はその間、何も言わずに待っていた。
「……はせべさん、ごめんなさい」
声音は僅かに震えていた。けれど震えないように耐えたのだろうということも分かる。陸奥守は祈るような気持ちと「長谷部ならきっと」と期待する気持ちで彼の反応を待った。
「大丈夫ですよ」
彼の返答は陸奥守が期待したとおりだった。それでいてその声音は想像以上に柔らかく穏やかで、思わず目を瞠る。それもその筈だ。彼が審神者と、出陣や戦績のこと以外で話すのを見たことが無かったのだから。
「難しかったですか」
「……むずかしかったです。へたでした」
やってしまった、と明らかに落ち込んでしまった審神者に対して、長谷部の表情はあくまでも柔らかい。
「なら、今度は俺がして差しあげましょうか」
「…………」
少女は言葉を失う。だがその沈黙の中にあるもの──相手に任せきってしまうことへの躊躇い、されど口に出すことへの不安、『やってみたい』という希望──を長谷部は掬ってみせた。
「一緒にやってみますか」
「……はい!」
彼もまた、幼い審神者に対する歩み寄り方を模索していたのかもしれない。言ってくれれば良かったのに、とも思った。……ああ、でも。ただ口にすれば解決するようなことを言わないまま状況が変わるのを待っていたのは自分も同じだ。
(お互いさまゆうことかにゃあ)
そのとき、パァーーンと勢いよく障子が開いた。
「よぉ!」
障子が 跳ね返る勢いで開け放たれたその向こうで、第一部隊のふたりが意気揚々とこちらを見ている。楽しいものを見つけたと言わんばかりにその顔は輝いている。
「おやつ泥棒みーつけた!」
今剣は部屋に飛び込んでくるとその勢いのまま審神者に突進した。少女がその衝撃を受け止められるはずもなく、ふたりとも畳を転がっていく。楽しそうな悲鳴。散らばった髪にお菓子の粉がまぶされていく様子を視界の端に捉えて、陸奥守は突然の来訪者を見た。
「楽しそうなことをしてるじゃないか」
鶴丸国永は自室に入るがごとく遠慮なく敷居を跨いで陸奥守の傍に胡座をかいた。彼が開け放たれた戸の方へ視線をやるので、つられてそちらを目を向ける。
「…………」
「やぁ、ここでお菓子の集まりがあると聞いてね」
「小夜、青江」
二振りだけではなかった。にっかり青江は片手を上げて答え、小夜左文字は何も返さずにさっさと審神者の隣に座った。
「これ、兄様から」
そう言って差し出したのは包みに入ったひとつの飴玉。審神者は礼を言ってそれをポケットに入れた。
「ありがとう、小夜くん」
瞬く間に六振りとひとりが集まった部屋は足の踏み場が無いほどで、互いの膝や肩をぶつけながら円陣の形をとる。全員が腰を落ち着けたあたりで青江が何気ない風に口火を切った。
「で? 何か話し合うために集まったのかい?」
口調はあくまで軽く、色違いの双眸が周囲を見回してある一点に戻る。その視線の先、長谷部はそれが自分の役割と言わんばかりに迷いなく口を開いた。
「作戦を立てたい」
陸奥守は視線だけで隣の少女の様子を窺った。緊張しているのがありありと分かる。何か言わなければ、言ってあげたい、その気持ちを堪えた。
「とりあえずは出陣だ。俺たちが戦場で感じたことと主が持っている情報を合わせれば今より安全に進軍できると思っている」
反論は出ない。陸奥守とは反対側の審神者の隣に座る小夜が顔ごと彼女を見上げた。真正面に座る鶴丸は気遣げな眼差しで微笑んでいる。今剣は長谷部の一挙一動を見落とすまいとばかりに彼から視線を外さない。
「いかがですか? あるじ」
彼の表情からは心配の色が見える。審神者はじっと長谷部を見つめた。えっと、と少し言うのを躊躇いながらも自分の思いを吐露する。
「私は、戦いのことがよく分からないから、変なことを言うかもしれない……」
だから今まで戦のことは陸奥守に任せてきた。戦場は難しいところに行けず演練も勝てないけれど、それでも構わなかった。それは自分にとって嫌なことではなかったから。
「私がダメなことをしてしまって、みんながケガをして……それで、本当に、みんなが消えてしまったら、嫌なんです」
一番、そのことを恐れていた。誰ひとり失うのが嫌で、なんなら傷つくことすら嫌で。結果、戦場を刀剣男士達に任せるということが、責任という言葉を知るにはまだ幼い子どもが選んだ最善の道だった。
「僕達の怪我は手入れで治る。貴方が気にすることなんてない」
「小夜、なんてことをいうんですか! そんなの、きにしますよ。ねぇ?」
「う、うん」
「どんな変なことでも言って構わないよ。僕たちだって全員が全員戦場育ちでもないし、分からないことだらけ。君と一緒だよ」
「そ、そうなんですか……?」
小夜、今剣、青江がめいめいに話しかけるのに対して審神者はなんとか返事をしている。ようやく始まった対話はまだぎこちなさが見えるけれど、それは初々しさと言い換えられるほど穏やかで微笑ましい不慣れ感だった。
「今はまだ必ず勝利をお約束することは出来ませんが……全員が折れずに帰ってくることは約束しましょう」
「わしらも主を信じる。やき、主にもわしらを信じてほしいんじゃ」
「君に信じてもらえる努力をしよう。俺達が頑張るみたいに、君も頑張れるかい?」
長谷部の誓いに、陸奥守の願いに、鶴丸の激励に、彼女はそれらをゆっくりと自分の中に落とし込んでから力強く頷いた。堰を切ったように話し出す。
「わ、わたしも、みんなを信じたい。信じてもらえるようになりたい」
「勉強する。みんなが大丈夫なように、私もがんばります……!」
少女の宣言に今剣が前のめりになって目を輝かせた。小夜は目を瞠って唇を震わせる。鶴丸が破顔する横で長谷部は眦を下げて微笑んでいた。陸奥守はとうと、胸に熱いものがこみ上げてきて言葉を発することができない状態だった。
(ほんに、すごい子や)
この子は、今は何もできないかもしれない。これからも守ってあげなければいけないのも確かだろう。けれど、強い意志がある。意志があって、変わろうとする力がある。まさにその変化を目前にして陸奥守は感動を覚えた。
「いっしょにおべんきょうしていきましょうね、あるじさま!」
「うん、勉強する。難しいことも覚えていくよ」
「ゆっくりでいいんですよ。ゆーっくりで!」
フフンとしたり顔で笑う今剣の横で、青江はひらひらと手を振っている。
「そうそう。まだまだこれからなんだから、ゆっくり……じっくりでいいんだよ」
おまん言い方、と胡乱な目をした陸奥守が頬を引きつらせる。青江の目は揶揄ってやろうという悪戯心に光っていた。
「僕たちの色に染まってくれるのが楽しみだねぇ」
「やめぇや」「やめんか」
制止の声をあげたふたりに視線が集まる。陸奥守と長谷部は互いの顔を見合せ、吐息だけで笑った。「気が合うなぁ!」と声を上げて笑ったのは鶴丸だ。
反論はしない。気が合わない、訳ではないのかもしれない。そう思ったから。少女は、青江の台詞のどこが非難されたのかは分かっていないだろうに、それでも可笑しそうに笑っていた。