素敵な一日を貴方と(審神者誕生日)

7:00 朝食に特別を

「おはよぉ、主」
「おはようございます、陸奥守さん」
厨に広がるバターのいい香りに期待が膨らむ。けれどそれを素直に口にするのは強請っているように聞こえたから喉の奥でぐっと堪えた。
香りの正体は今日の朝食当番である陸奥守吉行の持つフライパンの中を見ればすぐに分かった。
「フレンチトーストだ……!」
しかもフランスパンを使った彼女が好きなタイプのものだった。美味しそうな焦げ目と黄金色に輝く表面が食欲をそそり、想像だけで口の中に甘くとろける感触が広がった。
本丸の朝食は主に和食である。調理する刀剣男士に馴染みやすかったり量の調整がしやすい等さまざまな理由はあるが、朝食にパンが出ることは稀だった。況してやフレンチトーストなんて尚更。啓にとってフレンチトーストとは頑張った日のおやつとして出されるご褒美のことだ。それが今朝は朝から振る舞われるのだという。
「何でかは分かるじゃろ」
「うん。今日は私の誕生日だから、ですか?」
目覚めたときから──本当は昨日眠りにつくときから楽しみにしていた。明日はどんな日になるだろうと。いっとう楽しい日になってほしいと。
今日最初に顔を合わせた彼の笑顔は、そんな祈りが届いたのだと思わせてくれるような優しいものだった。
「おん。主、誕生日おめでとうな」

10:00 小さな洋菓子に春を

いくら自分にとって特別な日であっても仕事が無くなる訳ではない。今日の出陣と遠征を見送れば待っているのは液晶画面と書類と向き合う事務処理だ。とはいえ、既に慣れたもので今更泣き言を言うものでも無い。
襖の開く音に仕事の手を止める。今日の近侍であるへし切長谷部が戻ってきた。彼には厨に一息入れるのに重要なお菓子を取りに行ってもらっていたのだ。
「おかえりなさい。……わあっ!」
蜂蜜が少し入ったいつもの紅茶、そのお茶請けにと並ぶクッキーを見て瞳が輝く。彼は観客を前にショーを成功させた魔術師のように得意げに笑う。
「長谷部さん、このクッキー可愛いです!」
薄桃色のクッキーは色合いだけでなく桜の花という春らしい形をしていた。手に取ることも勿体ないと思わせるその可愛らしい焼き菓子に啓の気分は一気に舞い上がる。
「万屋の春限定、桜クッキーだそうです」
「春ですもんね……すごい、食べるの勿体ないなぁ……」
手をつけずにまじまじと眺める少女を、長谷部はコーヒーカップを手にただ笑っている。自分の分をさっさと取ってしまってもいいのに彼はそうしない。一緒に食べられるまで急かすことなく待ってくれている。
「今日は嬉しいことがいっぱいありますね!」
期待に胸を膨らませる彼女に、なんてことのないように返した。
「それはそうですよ。特別な日なんですから」

12:00 昼食に驚きを

朝に出陣をしていた部隊は皆無傷で戻ってきた。ちょうど昼食の準備が始まる頃でもあったので、彼らを迎えた足でそのまま厨へと向かう。今日の仕事を午前で終わらせることが出来、啓の足取りはとても軽かった。
「あれ、鶴丸さん? 何してるんですか?」
その途中、大広間にいる鶴丸国永に遭遇した。彼の前にあるのはいつも食事のときに使用している大きな机で、その上にはホットプレートと容器にいれられた食材がずらりと並んでいた。大量であり多様、キャベツのみじん切りが入った液状の生地から豚肉、ハム、海老や蛸、畑で採れた葱や人参、そればかりでなく林檎やパイナップルまで用意されている。
「昼ごはんの準備さ。何か当てられるかな?」
「……お好み焼き、ですか?」
「賢いなぁ、主! 正解だ!」
「えっお好み焼きなんですか!!?」
答えてみたもののまさか正解だとは思わなかった。準備されたものからなんとなく思いついたのがお好み焼きだったのだが、材料の中にはどう見ても使わなさそうなものがある。
「いい反応じゃないか、どうしたんだ」
「え、パイナップルも入れちゃうんですか?」
「入れるぞ~!新発見、ってな、案外いけるんじゃないか?」
「騒がしいですよ、何やってるんですか」
声ち振り返ってみれば宗三左文字が何か入った皿を両手に呆れかえっている。「宗三さん、聞いてくださいよ」と言おうとして、皿の中身に気付く。
「……なんで苺があるんですか?」
「お昼に使うからですが?」
賑やかで何かが起こりそうな予感がする昼食だった。

15:00 おやつの時間に内緒話を

昼食ではそれはもう色々なことが起こった。新しい組み合わせを発見したり、もはやお好み焼きと呼べるかどうか怪しいものまで完成したり。普段の何倍も賑やかで愉快で、まるでパーティーのようだった。夕飯時にケーキでお祝いしてもらえることは前から聞いていたが、先程のは完全にサプライズだった。
(パーティーが二回もあるなんて、嬉しいなぁ)
やるべき仕事は午前で終えたので、午後は畑や厩へ行って内番の手伝いをしたり手合わせを見に行ったりして時間を過ごした。そんなふうに本丸中をうろうろしていたからか、小夜左文字に廊下でばったり会ったときは「やっと見つけたよ、主」とまで言われた。
「小夜くん、どうしたの?」
「今日のおやつ……宗三兄様が作ったんだって」
彼の持つ盆には二つの饅頭が乗っている。もうそんな時間だったのか、とお礼を言い、どちらからともなく肩を並べて縁側へ座る。ふたりの間に置かれた盆にある饅頭は和菓子屋で買ったといわれても分からないほど綺麗に作られていた。
「さすが宗三さんだね。 ……あっ」
饅頭の上にちょこんと桜の塩漬けが乗っている。それは朝の洋菓子を連想させた。まさかあのふたりが合わせたなんてことはないだろう。おかしな気持ちになって、それを一人で黙っているのは勿体なかったから、口元に手を添えて「ねぇ、小夜くん」と声を潜める。
「朝に長谷部さんにもらったクッキーも桜だったんだよ」
「それは──……面白いね」
「だよねぇ」

18:00 夕食に未来の話を

「今日は祭りでもあるのかぁ……?」
いつにない豪勢な食事を前に肥前忠弘は訝しむ声を上げた。新しい刀剣男士が顕現したとは聞いていないし彼が把握する中で祝い事は無かった筈だ。独り言のつもりだったそれを拾ったのはたまたま隣にいた今剣だ。
「そういえば肥前さんがきてからははじめてですね!」
そんな今剣は本丸が始まった初期からいる一振りである。彼はそれを口にするのも誇らしいと言わんばかりに得意げに胸を張った。
「きょうはあるじさまのたんじょうびです!おいわいですよ!」
誕生日とは年に一回の生まれた日を祝う日のことだ。それを聞き、まず肥前は本丸に来てからまだ一年も経っていないという事実に驚いた。もっと長い時間を此処で過ごしていたと思っていたのだが、そうか、まだ一年なのか。
「一年ってのは長いもんだな」
「まさか。みじかいですよ」
何気なしに呟いた彼の実感を本丸の先輩は一蹴した。鋭い斬り込みに彼の方を見れば、肥前を見上げる真っ赤な瞳には寂しげな色が浮かんでいる。
「にんげんのいちねんも、いっしょうも。ぼくたちからしてみればあっというまです」
ぽつりと落ちた呟きは傍にいた肥前にしか聞こえない。それと同時に、広間の一角で審神者が歓声をあげる。そちらの方を見ればちょうどお祝いのためのケーキが運ばれてきたところだった。一人分のホールケーキの上にぎゅうとローソクが立てられている。
「それでも、あいつが元気に一年過ごせたっつうんならそれは間違いなく悪いことじゃねぇ」
いつか、あの小さなケーキに立てられないくらいのローソクで祝う日も来るだろうか。一人では食べきれなくなるだろうから、それならば皆で切り分けて食べれば良い。 大食らいの肥前にしては珍しくそう思った。
「行ってこいよ。去年より豪華になってんだろ」
「……っはい!」

21:00 明日も君を愛してる

「おや、今日はもうおねむだねぇ。沢山食べたからかな?」
「んー……まだ……寝ない……」
そう言っている傍から瞼がゆるゆると落ちていく。夕食も終わり夜が深くなるこの時間は、近侍の長谷部に代わり夜警の当番であるにっかり青江が傍に控えている。
「そういえば歯磨きはちゃんと終わったかい?」
「もちろんです。ほら~」
にぃー、と啓が歯を見せて笑えば相手も同じように口を広げ、「はぁい、いいこだね」と笑った。にんまり青江だ、と口にするには躊躇いがある言葉が浮かんでは消えた。
朝早くから動きまわり一日中はしゃいだ所為もあってか、普段よりどっと身体が疲れている。寝ろと言われたらすぐに寝られる自信まである。しかし年に一回しかない特別な今日という日がまだ残っている。このまま眠ってしまうのは勿体ない気がして、なんとか眠気を払ってみようするもすぐに身体から力が抜けて指一本動かすのも難しくなる。
うつらうつらとと船を漕ぎ、既に用意されている布団の上にいつ崩れ落ちるのかというときだった。
「おや。何か用事かな、山姥切」
「──!」
襖の開く音と青江の声に眠気に支配されていた頭がすっと覚める。彼の呼ぶ山姥切がどちらかを分かっていたから、それもあった。
「……あぁ、なるほどね。うーん、まぁいっか。……主、早く寝るんだよ」
「ん……?」
何も会話を交わすこともなく、青江はそう言い残してするりと部屋から出て行ってしまう。なんで、という間もなく、入れ替わるように突然の来訪者である山姥切長義は啓の前に膝をついて座った。
「君への贈り物を渡し忘れてたと思ってね。悪いとは思ったけど今日中に渡したくて……ごめんね」
すまないと言うわりに彼の機嫌は良さそうだ。受け取った硝子瓶の中は色も形も様々な飴玉が詰め込まれていて、中には果物の絵や花や蝶が描いてあるものもある。ぼんやりしていた意識がすぐさま口の中で広がる味を想像させて、今すぐ開けて一粒口の中へ入れてしまいたくなる。けれどそれは出来なかった。
「ありがとうございます。でも、もう歯磨きしちゃって……」
「そっか、えらいね。じゃあこれは明日起きた君へのプレゼントにしようか」
それは魔法の言葉のように、明日起きることを一気に楽しみにさせた。どれから食べようだとか、見たことのないこのお菓子はどうしたかとか、今の話の続きを明日起きてからもしたいと思う。途端に、先程までの今日が終わってしまうことを惜しむ気持ちが、明日に起こることを楽しみに待つ気持ちへ変わる。──まるで昨夜のように。
「明日も、お話してくれますか……?」
「勿論だよ。明日、君が起きてから、寝るまで。沢山おしゃべりしよう。だから今日はもう寝ようか」
ぽんぽんと頭を撫でてくる長義に頷き、素直に布団の中へ潜り込む。彼はそれで立ち去るでもなく、枕の上に乗った啓の頭を先程よりも更に優しい手つきで撫でた。
「寝るまで傍にいるし、起きても傍にいるよ。おやすみ、啓」
撫でられる心地好さも相まっていつでも眠ってしまえそうな睡魔が再び襲ってくる。今度はそれでもいいかと思えた。あと数時間、自分にとっての特別な日は残っているけれど。
彼が此処にいてくれるならば。明日も──明日からも、また、何度でも。
(みんなにあえる)