第五話

今日の部隊編成は普段と違う顔触れだった。
鶴丸国永が隊長、今剣に小夜左文字、宗三左文字、山姥切国広、そして俺──山姥切長義。
俺と写しが同じ部隊になったことは一度きりしかなく、その際にあった一悶着のことを思うと今回の編成に誰かの思惑を感じずにはいられない。
「いや、今日の戦場はいつもの場所だからな。 たまには変わった面子で行こうじゃないか」
そう快活に笑った隊長はそういえば昨日の近侍だった。昨日は結局、俺が主の部屋を訪れてから今剣が退室してからも戻ってくる気配は無く、俺が眠りにつく彼女の傍にいた。
──いつもと違うから、なんか変な感じです。
そう言って布団に入った彼女の次第に静かに深くなる呼吸を聴きながら、離れる理由もなくそのまま夜を過ごした。傍で眠ることも出来ず結果として一睡もしていないが少し欠伸が出る以外特に問題ないだろう。
たまたま欠伸が出てしまったところを隣で同じように出陣を待つ山姥切国広が目に留める。
「山姥切、眠そうだな」
「……あぁ」
脳裏にあの子の顔が過り「偽物くん」という言葉を堪えた。しかしその代わりの言葉を咄嗟に口にできない。喉と胸が少し苦しい。
「そうかな……」
「どうかしたのか、大丈夫か?」
「何でもないよ。お前に気にされることじゃない」
「そうか……」
我ながら取り付く島もない言いようだが相手はそれ以上何も言わなかった。俺のことを心配しているのは伝わってくる、それでいて口を出しすぎると俺の矜恃が傷付くと思っているのだろう。よく分かっている奴だ。俺は未だにこいつのことが分からないというのに。
ゆっくり話す機会も無かった──というより、むしろ俺がその機会を避けていた。
──また、話をしよう。
あの言葉に応じなければ。いつか話をしなければ。

「てーさつ、いってきますね!」
戦場に降り立つと短刀の二振りが偵察のために真っ先に動く。その間、他は待機の時間となるがそれも長くない、数分もしないうちに俺でも敵の気配が分かるくらいになる。
急ぎ戻ってきた二振りの姿が視界に入り、柄に手を添えて息を呑む。
「敵、横隊陣。投石、きます……!」
「分かった、こちらは鶴翼陣でいこう。小夜坊、今剣、先陣を切ってくれ。投石兵準備してくれ」
隊長の指示のもと各々が布陣につき刀装を展開させる。打刀組が持つ投石兵が攻撃を始めると同時に相手からも投石が飛んでくるのが見える。鶴丸国永の盾兵のひとつが彼を庇い砕けた。あ、と思う暇もなくそれらはこちらにも迫ってくる。
全ては捌ききれない、構えながらそう判断を下したとき。
「はぁッ!」
橙色の鉢巻と眩しい金髪が視界に入る。覚悟していた衝撃はなく、俺の目の前で閃いた切っ先に石が破片と化す。
思わず口から零れたのは言い慣れてしまった呼び名。
「に、せもの、くん」
「なんで、アンタがそんな顔をするんだ」
そう言われても、自分がどんな顔をしているか分からない。だからといってそれを聞けるような状況でもない。
「さぁ、いこうか! 大舞台の始まりだ!」
鶴丸国永の張り上げた声で戦闘の幕が上がった。
目にもとまらぬ速さで飛び込んで行った仲間達から少し遅れて足を踏み出し、向かってくる打刀に対峙する。
(目の前の敵を斬り捨てる。あの子のために)
相手の一撃を受け止め横に受け流す。僅かに体勢の崩れた隙をついて首元を狙うが、あちらも即座に飛び退いて距離を取った。
正しい判断だ​──だが立て直す暇など与えてやらない。ぐらりと、己の重心がぐらついたのを踏み出した足に力を入れて耐え、空いた距離を詰める。相手が振りかぶるより早く、握る手に力を込めて。
「ぶった斬るッ!!」
胴を横一文字に斬ればその傷口から血のような赤黒い液体が噴き出し、人の形はどろりと形を失って地面に崩れ落ちた。
「他は──」
「このあたりにはいない。みんなのところへ戻るぞ」
振り返ると、それを狙ったかのように声が掛けられる。既に刀を納めている山姥切国広の姿。言われてぐるりとあたりを見回してみたが俺達以外の姿はない。
それほど難しくない戦場ではぐれたことに違和感を覚え、これが目的だったのかと勘付く。隊長の性格を思えば納得がいく。俺とこの写しが二振りだけで話をするように、と。
俺と同じことに気付いているかは分からないが、山姥切国広は普段と変わらない様子で話しかけてくる。
「怪我はないか、山姥切」
「あぁ、…………お前は? ──国広」
初めて口にした呼び名は呼びづらくて仕方ない。そして初めてのことに戸惑ったのは俺だけではなく、呼ばれた側も目を丸くしてこちらを凝視していた。
「どうしたんだ、いきなり」
「……あの子が悲しむからね」
俺の言葉に相手ははっと目を見張ったかと思うと剣呑な色を表情に浮かべ眉を寄せた。まるで傷付いたものを見るような眼差しを向けてくるのが理解出来ない。
「主に何か言われたのか?」
小さく抑えられた声はこちらを気遣うように柔らかい。
「何もないよ。ただ、偽物と呼び続けるのは主の意に反するみたいだからな。とはいえ、お前を山姥切と呼ぶことはしない、妥協案だ」
主の意、などと尤もらしいことを言っているがそれが正しくないことは分かっている。主を悲しませないように、なんてそんな献身的なものが全てではなく、むしろ俺があの子に嫌われたくないと思う気持ちの方が強いのに。
「アンタは、それでいいのか?」
「俺の気持ちの問題など取るに足らないことだ」
「何故そこまでするんだ。主は言っていただろう、俺達どちらもが山姥切だと。それでいいじゃないか」
「違う、俺はあの子の山姥切になれない」
あの子の中で、俺はいつまでも「お兄ちゃん」でしかない。山姥切長義はいない。あの頃、あの子の傍にいるのは山姥切長義という刀剣男士でなくても良かったのだから。
「なぜ……。……いや、俺が何を言っても無駄か」
まだ納得していない様子の国広だがそれ以上追及してくることは無かった。歩き出した彼の背中を追いかけて俺も歩き出す。
遠くから今剣の声が聞こえる。他の仲間たちも近くにいるだろう。別に奴の後ろにいる必要もないと少し歩く速度を早めて横に並ぶ。このまま先に行ってしまおうとしたとき、隣から呼び止める声が投げられる。
「山姥切。アンタは、主の何になりたいんだ」
「…………」
答えは返せない。そんなの、俺自身が分かっていない。

「あるじ~帰ったぜ~!」
「かえりましたよー!」
「おかえりなさい! みなさん無事でよかった!」
正門を潜ればすぐに審神者に迎えられた。戦況を部屋で見ていて飛び出してきたのだろう、駆け寄ってくる彼女の後ろから近侍のへし切長谷部が追い掛けて来る光景が微笑ましい。
「土産話でも聞くかい?」
「鶴丸、何があるっていうんですか」
庭でそのまま話し始めそうな鶴丸国永を宗三左文字が窘める。その後ろから小夜左文字がひょこりと顔を出した。
「主……今帰ったよ」
「おかえり小夜くん! 今日はケガない? 今日のおやつできてたよ! 宗三さんと食べてくる?」
「怪我はないよ……。どうして、貴方がそんなに慌てているの」
ふ、と小さく漏らして笑う小夜左文字の姿に驚く。戦場でも普段に生活をしていても表情が変わるところを見たことがなかったが、彼はこんなふうにも笑うのか。新しい発見をした。
だっておやつ楽しみでしょ、と返す彼女にまたもう一振りが近付く。
「主、今日のおやつは何だったんだ?」
「山姥切さん! 今日はですね、陸奥守さんが作ってくれた、まんまるドーナツです!」
「そうか、それは楽しみだ」
「じゃあもらってこないとですね!鶴丸、あとはまかせましたよ!」
元気の有り余っている今剣が国広の手を引っ張って厨の方へ駆けていく。いきなり強く手を引かれてたたらを踏んだ国広も会釈だけしてそのまま引きずられていった。
審神者に挨拶を交わしてからそれぞれ好きなように散っていく。その様子をぼんやりと眺めていた俺が最後に残った。
「主、ただいま」
「はい! おかえりなさい、山姥切さん」
俺がそう呼ばれたのは初めてだった。
じわりと胸のあたりを温める充足感。しかしそれとは別に感じるもどかしさは、彼女がどういう気持ちでその名を口にしているか考えてしまうからだ。純粋で健気な子どもだから、俺が呼んでほしがっていると分かれば深く考えずに動いてしまうだけなのだ。
だから俺は、それを止めてあげなければいけない。
「長義でいいんだよ。君が呼びやすいのはそちらだろう?」
「えっ、でも……」
「今更すぎるんだが……君を悩ませたくない。ごめんね、悩ませて。俺は、君に呼ばれるなら何でもいいんだ」
この言葉は嘘ではない。呼ばれない日々を知っているから、あのときのことを思えば傍にいて呼ばれることがどれだけ幸せなことか。
たとえそれが望んだ名前でないとしても。
「…………」
「俺に気を遣っているなら気にしないでほしい」
言ったところで気にするだろうが、俺の気が済まない。彼女はやはり納得のいかなさそうな顔をしつつ、小さく頷いた。
「長義さんが、それでいいなら」