何度も触れたことのある髪を梳いて、石鹸が香る身体を引き寄せた。こちらを見上げる視線、僅かに開いた口元が赤く濡れ艶めいて見える。
そこに顔を寄せようとして──
「ちかい……」
「………」
(近い、か?)
普段からの触れ合いの延長だと思っていた。今剣がぴったりとくっついて昼寝をするように、宗三左文字が手ずから菓子を食べさせるように、加州清光がその髪に触れて着飾るように。「着物わからないです」と困り果てた少女を最初に着付けたのは初期刀の陸奥守吉行だった。
「いやだって、君がもうしてるものだと……」
「しとる訳あるか。嫁入り前の娘に」
よめいりまえのむすめ、と長義は繰り返した。まるでその言葉を初めて聞いて理解できていないような言い方だった。陸奥守は胡乱げに彼をじっと見る。眉間に皺を寄せて、呆れているとも驚いているとも見える表情だ。
「わしらは付喪神ゆうても肉体は男のそれやろ。それやのに年頃の女の子にそんなことするか」
まさか自分が窘められる側になるとは思いもしなかった。
「……だって君、あの子の着替えを手伝ったことがあるだろう」
「十にもならんときのことを言うかぁ。ていうか主は?」
あの後、審神者は脱兎のごとく逃げ出した。もちろんその時点で追いかけて捕まえることもできたがそれが良くないことも理解できた。無理強いをしたいわけでもないし、捕まえた上で拒絶されたら今以上に立ち直ることができない。
「君のところに来ていると思ったんだよ」
「それやったらこんなところで油売っとる場合か」
「いや……」
この広大な本丸を探すにあたり真っ先に候補に挙がったのが彼の部屋だった。当てが外れたわけだが他に候補もある。陸奥守の言う通り、さっさと腰を上げて探しに行くべきなのは分かっている。が、小さな染みのような不安が長義にはどうも拭えない。
「やっぱここにいたよ!」
ちょうどそのとき、開きっぱなしの障子戸の向こうから加州が顔を覗かせた。彼の視線は客人である長義にまっすぐ刺さっている。
「ちょっと彼氏。主が俺たちの部屋にいるんだけど」
「そっちだったか……」
「ほれ、はよ行きぃ」
「いや、でも……逃げたのを追いかけるのってどうなのかな」
今にも部屋から追い出されそうになり(たとえそれが善意によるものであっても)長義は焦った。彼女のいる場所は分かった。ただ、彼女の気持ちが分からない。いや、ちゃんとお互い想いを言葉として交わしているのだから気持ちが分からないというのはおかしい。
「本当に嫌なわけはないと思うけんど……」
「仮に本当に嫌だったらどうするの?清いおつきあいしちゃうわけ?」
加州は敷居を跨いで部屋に入ってくるとそのまま居座る気なのか腰を下ろした。長義は彼の言葉を頭の中で繰り返した。清いお付き合いをするか否か、など。
(俺に選択肢があるのか?)
それを選ぶのはあの子ではないか。自分にとって良いも悪いもない。彼女のしたいことが自分のやりたいことで、彼女が望まないことは自分も望まない。
「え……っと、多分、そうだろうね」
そう返答したとき、陸奥守も加州も変な顔をしていた。きっと長義自身もそうだったのだろう。
そして果たして、自分の欲求とは何だっただろうか。