第4部終了後
「なぁ、お前の好きなものって何なんだ」
虎於の質問はあまりにも唐突だった。そのせいで今まで穏やかなテンポで続いていた会話が途切れ、遠くで聞こえるジャズのメロディーが半個室であるふたりの空間に戻ってくる。彼が予約した普段使いはできない金額設定のバーにて、互いの仕事を合間を縫って作られた週初めの夜の時間。
「……へ? いきなりだね、御堂くん。何かあったの?」
虎於の仕事については未咲姫が知らないことばかりだ。故になぜ彼がそんなことを言い出したのかが分からない。若い女性のリサーチか──否、御堂グループがその情報を持っていないはずがない。好きなものを聞いた上でエスコートの参考にしようとか──否、彼が今さら女性の扱いに困るわけがない。
そうでなければ、なぜ。
自分が彼の力になれるかは分からないが、困っているなら話を聞きたいと思う。そう思った未咲姫の返答に、しかし彼は落胆の色を見せた。
「俺が、そう言うのは、やっぱり変か」
いけない、と直感が告げていた。長い付き合いだから分かる。これは彼が諦める前兆だ。御堂虎於という男は見た目では想像もつかないほど自分のことに関して臆病なのである。人の顔色はきちんと見えるのに、何を思って相手がそんな顔をするのかを想像するのを怖くて止めてしまう、そんな人なのだ。
慌てて首を振って否定を示す。出来る限りの言葉と行動を尽くさなくては彼には伝わらない。
「う、ううん。変じゃないよ。嫌でもない。御堂くんが私の好きなことを聞いてくれるのが、どうしてかなって思っただけ」
「どうして……。いや、なんだろうな……、ただ、気になっただけだ」
すごいな、とまず驚嘆した。彼が他人に興味を抱くこと自体が珍しい。彼は、人の話を聞かない人だった。厳密に言えば、聞きはするが二言目には否定とマウントが返ってくるような、言ってしまえば非常にコミュニケーションに難があった。
「私が好きなものが、御堂くんにとってつまらないものであっても、怒ったり笑ったりしないでくれる?」
しかし未咲姫とて人間だ。自分の好きなものを貶されたりするのは耐えられない。そういったコミニュケーションの癖を持つ虎於と、歳を重ねるにつれ会話が少なくなっていたのも必然だった。
未咲姫の問いに、虎於は唇をわななかせ、歯を見せて笑顔を作って見せる。ぎゅうと寄せられた眉が涙を堪えているようにも映った。
「……うん。それは、大丈夫」
まるで正解を探すようにたどたどしく、彼は答えた。相手を言いくるめることも主張を押し通すこともできるし、してきた、そんな彼が。お洒落なバーに不釣り合いな稚い笑顔に既視感を覚える。昔はそうだった。周りなんて気にせず、好きなものを好きだと言っていた。
「やっと、最近、少しだけ……分かるようになったんだ」
「…………。そっかぁ」
いつの間にか失われていた距離と会話が再びやってくる予感に、未咲姫も笑みをこぼした。
──もう一度、貴方に私の話をしよう。そして、貴方の話も。