ピンチ

(アリエッタ視点)
「シノ……!大丈夫ですか……?!」
今回、東の魔法使い達に任されたのは簡単な任務だったはずだ。それこそ、アリエッタがついていくのを許されるくらいには安全なものだと。だが実際に調査が始まってみると予想外のこと続きで、結果シノとアリエッタは二人ではぐれることになってしまった。
今回、異変の調査を依頼されたのは中央の国の北端にある森だった。シャーウッドの森に似ているようでありながら、息づいているモノ達が全く違う。右も左も分からないまま走った。そうしなければ見たことのない魔物に襲われてひとたまりもない。
「……っ」
シノも意地悪で少女の問いに返答しなかったわけではない。返事が出来なくなるほど余裕を失っていた。既に彼の全身は傷だらけで満身創痍の状態である。
「エッタ、ここを動くな」
動くな、と言われるまでもない。少女自身も、躓いても走り続けた両足は悲鳴をあげていて歩くこともままならないのだ。呼吸するたびに生臭い血の匂いが気道を満たして吐き気を誘う。込み上げてくるそれを呑み込んで小さく頷けば、霞む視界で彼が笑ったような気がした。
「マッツァー・スディーパス」
彼が呪文を唱えた瞬間、まとわりついていた不快感がふと和らぐ。自然本来の……ここではない、故郷の森の匂いが喉の奥でした。
「シノ……」
此処で捨て置かれるのだろうか。もしもその通りだと言葉にされたら魔物に食われる前にショックで死んでしまう。けれど置いていかないでと縋ることで彼の足手まといにはなりたくはない。自分を見捨てることでシノが皆のところに帰れるならばそれでいいのかもしれない。
遠くなっていく彼の影を眺めながら、これ以上思考を続けることも難しくなってずしりと瞼が下りてくる。どうしてこんなにも自分の身体は動かないのだろう。

(シノ視点)
魔物の群れを迎え撃つため、シノはひとりで森の中でもひらけた場所に躍り出た。なるべく周囲を引き付けられるよう恰好の獲物のふりをして、大鎌を取り出して構える。
頭を襲う酩酊感は決して濃い血の匂いだけではない。この場所は何かがおかしい。しかしそれが自分では分からないのだから、とにかく今は周りの危険を取り除くことが最優先だった。
ここで倒れる気など更々なかったが、それでも自分にもしものことがあったらアリエッタだけでも生き残れるように手段は尽くしたつもりだ。
一人で凌ぐにはあまりにも魔物の数が多すぎる。次々に襲い掛かられ、ついには魔物の鋭い爪が左腿を抉っていった。あまりの痛みに一瞬意識が飛び、地面に転がったせいで全身を強く打つ。身体中から血の気が引いていく中で傷口だけが焼けるように熱い。すぐ近くで聞こえる獣の唸り声に何度目かの命の危機を感じたとき、自分以外の魔力が降り注いだ。
「レプセヴァイヴルプ・スノス」
「……ヒース」
魔物達を魔法で眠らせたヒースクリフは箒から降りて地面に降り立つとシノの姿を見て、その周辺に視線を走らせる。
「シノ、大丈夫か?エッタは!?」
「ファウスト達は。一緒じゃないのか」
「先生達とは手分けして探してたんだよ。エッタは、一緒じゃなかったのか」
「動けなくなってたから置いてきた」
「はぁ!? 早く案内しろ。戻るぞ」
言い方を間違えたな、と口に出した瞬間に思った。案の定ヒースクリフは顔を険しくさせて怒りを顕にした。しかし取り乱すようなことはなく、シノに対して次の行動を命じる。いざというときに冷静に判断できる彼を目の当たりにすると、こんな状況だというのにシノは口笛を吹きたい気分になった。これ以上彼を怒らせたくないし、本当にそれどころではないのだが。
「ヒース、こっちだ。来てくれ」

(ヒースクリフ視点)
彼らは立場に忠実だ。自分自身を駒のひとつとして、ヒースクリフ──延いてはブランシェットの地位と繁栄のために躊躇いなくすべてを差し出してしまう。そのことはヒースクリフに言葉を詰まらせ、息を苦しくさせることもあった。
「エッタ!エッタ、大丈夫!?」
この場に充満する嫌な匂いに身の毛がよだつ。嘔吐きそうになるのを抑えて彼女の傍まで行って膝をつく。シノの結界の中にいるアリエッタに外傷は見られないが反応も無い。眠っているだけなら良いが、この不可解な場所でどんな状態になっているかも分からない。とにかくこの場を一刻も早く抜け出さなくては。
「ヒース、オレが運ぶ」
「そんな怪我で何言ってるんだよ!」
彼女を抱えようとしたところで追いかけてきたシノが馬鹿なことを言うので思わず怒鳴り返した。立っているのもやっとだという身体で何を言っているのか。
実際に持ち上げようとしたが意識を失った身体は想像以上に重く、動きが止まる。けれどここでヒースクリフが苦しい顔を見せればシノに何を言われるか分からなかったので両足に力を入れてなんとか持ち上げる。身体が震えそうになるのを抑えようと強い力で掻き抱いても、アリエッタはピクリとも動かなかった。
どれだけ喪いたくないのだと叫んでも、きっと彼らは宥めるように笑っては優しく言い聞かせるのだろう。ヒース坊ちゃん、それが役目なんですから。そう言って、まるでヒースクリフを聞き分けのない子どもみたいに扱う。
「レプセヴァイヴルプ・スノス」
シノのものから更に加護の魔法を重ねる。この場から抜け出すべく箒を取り出して、彼女を乗せたまま宙へ浮かんだ。シノも同じように箒に乗ったのを確認して来た道を戻る。
無事に他の二人と合流して魔法舎に帰ろう。それから、帰ってから。何度繰り返しても平行線になる話をしよう。生きている間、きっと自分達が繰り返し続けるそれを。