deep night

夜の森はまるで生きているみたいだ。大きな魔物の腹の中にいるように、ひとつひとつの気配がざわざわと揺れて不規則に動き回っている。
何も知らない者からしてみればこの森は脅威と畏怖の対象でしかない。だが幼い頃から庭のように慣れ親しんだ者からしてみれば怖いことなど何ひとつない。シャーウッドの森を渡るのに大切なのは、たった一つを守ることだけだ。
歩き続けた少女が森の深くなるあたりに差し掛かったところで、あちこちで蠢いていた気配が息を潜めた。代わりに奥の方から強烈な存在感を持つものがゆっくりと此方へ向かってくるのを感じる。森の鳥や獣達もその者の一挙一動に注目するように沈黙していた。
「何をしてるんだ」
「……シノ」
宵闇からひとりの少年の姿が溶けだした。
青白い肌と赤い瞳が<大いなる厄災>に照らされて暗闇に浮き上がり、彼の手に握られている大鎌がその光を受けて鈍く輝く。その光景は、森を彷徨う死神が少女の命を刈り取る物語の挿絵のようだった。
「狼に食われるぞ」
「その前にシノに会えると思ってました。来てくれてありがとうございます」
「シフォンティーナの娘を見殺しにするわけにいかないだろ」
少年は顔色を変えることなく淡々と口を開く。夜空の明かりだけでは俯きがちな少女の表情は見えなかったが、森と同じくらい付き合いの長い彼には今彼女がどんな顔をしているか想像に容易かった。
「酷い顔をしている、何かあったのか」
「いいえ、今日は坊っちゃんも奥様もいらっしゃらないのでシノの様子を見に来ただけです」
相手が仔細を語る気がないことを察してそれ以上追及することを止める。だが、普段の明るさが失われた彼女が此処に来たかったというのならば、彼に出来ることはそのままを受け入れることだけだ。
彼は番人である。彼以上にこの森を知っている者はおらず、彼からの拒絶は森からの拒絶と同義だった。
「なら来い、エッタ。案内してやる」
たとえ彼女の耳に入る言葉がどれだけ卑俗で聞くに耐えないものであろうとも、深い森の奥までは届くまい。
森番の言うことを守ること。それがシャーウッドの森で大切なたった一つである。