閑話 宴の準備

万屋街はあいも変わらず多くの審神者や刀剣男士達が行き交っている。そんな中、審神者は薬研藤四郎と宗三左文字に挟まれて歩いていた。目的は宴のための買い物である。
お祝いをしようと言い出したのは誰で、いつだっただろうか。満身創痍で帰ってきた第一部隊を泣きながら迎えた審神者の横で薬研藤四郎が言い出したか、全身を赤く染めた今剣が手入れ部屋に入る直前に言い出したか、鶴丸国永か、堀川国広だったかもしれない。そしてあれよあれよという間に今に至る。
「そんな不安そうな顔せずとも、手入れは終わってるんだから大丈夫ですよ」
賑やかな街並みを浮かない顔で歩く子どもに宗三が声をかける。小さな頭の中を占めているのは残してきた第一部隊の面々だろうということは想像に易い。けれど彼の言う通り、既に手伝い札を使って全員の手入れは済んでおり傷一つ残っていない。なんなら買い出しも自分達が、と陸奥守と鶴丸は言い出したほどだ。それをはいはいと軽くかわして審神者を引っ張ってきたのがこの二振りである。
「はい。……あんまり、心配しすぎもよくないですね」
「まぁ、心配するなっていう話でもないが……心配しすぎて今が楽しめなくなるんじゃ勿体ないぜ。ほら、まずは何を食うか考えないとな」
まだ気分が腫れなさそうな審神者に対して薬研はことさらに声を弾ませた。あちらこちらと指をさしては声に出して、本丸にいるときよりもはしゃいでいるように見える。
「大将、何がいい?」
「なに?」
「食いもんだよ。菓子でも肉でも好きなもの買ってこーぜ」
お祝いのための食べ物。そう薬研に問われて真っ先に思いついたものが一つあった。立ち止まり、あたりをさっと見回してみるがやはりどこに店があるかは分からない。
「大将?」
「お酒がいいです。たぶん、陸奥守さんが好きだと思うから」
この本丸の陸奥守吉行が酒を飲んでいるところを審神者は見たことがない。もしかしたらまだ未成年の彼女に配慮して見えないところで飲んでいるのかもしれないが。陸奥守吉行という刀剣男士が酒を好むというのは万屋街や演練で別の本丸の彼を見て、なんとなくそうだと感じた。こんのすけも確かにそういう陸奥守吉行は多いですねと言っていた。
「いいな。陸奥守も長谷部も喜ぶと思う」
「貴方が食べたいものじゃなくていいんですか」
そのまま酒屋に直行していきそうなふたりに宗三が制止の声をあげる。
「私は……。でも、頑張ったのは第一部隊のみんなだし……」
「貴方も頑張ったんですよ。なんなら僕たちも頑張りましたし、本丸全員頑張りました」
強い声音に少女は続けようとした言葉を失った。怒らせてしまったかもしれない不安になって見上げて窺った彼の表情は、けれどとても柔らかだった。少女に食べたいものはあるのか気にしてくれている、ただそれだけだ。
「私は……あればピザが食べたいです。でも、まずお酒が見たいです」
「はいはい。じゃあその後に絶対買いましょうね、ぴざ」
ピザは今まで食べた中で少女にとって一番のご馳走だったが、本丸に来てからは食べていない。普段買い物しているところに売っておらず探そうとしたこともなかったが、問われて真っ先に思いついたのがそれだった。宗三にしてみれば初耳の、想像もつかない食べ物だろう。
「じゃあまずは酒見に行くか」
「うん。宗三さんは? お酒好きですか?」
「……嫌い、とは言いませんよ」
含みのある返事だ。審神者が首を傾げる隣で薬研が意地悪く笑った。彼の何か揶揄いたがるような視線に宗三も笑みで返す。彼女には全く意味の分からないやりとりだった。

早速、三人で近くにあった酒屋に入ることにした。子どもが並んで酒屋の暖簾をくぐる光景も万屋街ではよくあることなのだろう、酒屋の店主に快く迎えられる。店主は刀剣男士の宗三左文字と薬研藤四郎だと認めると彼らの元の主である織田信長ゆかりの銘柄を勧めてきたり、審神者が陸奥守にあげたいといえば土佐の銘酒を教えてくれた。酒のことが全く分からない審神者も、陸奥守のための買い物だと思えば楽しく選べた。
「また来てくださいね。陸奥守さんと一緒にでも、貴方が大人になってからでも」
山ほどの酒瓶の配達を承った店主はそう言って笑顔で見送ってくれた。
(私が大人になってから……)
それは全く想像できない遠い将来のことだ。しかし楽しみだと思えた。

酒屋を出た後で街の中を端から端まで回ってピザを探したところ、パン屋で見つけることができた。色々な種類がある中で何を選ぶか悩んでいる隣から宗三が乗せられるだけ掻っ攫っていく。唖然としている間に他のところを回り始めたので慌てて追いかける。
「いいんですか」
「貴方が頑張ったご褒美なんですよ。これくらいいいんですよ」
「うっ……」
頑張ったご褒美、と言われてもやはりしっくり来なかった。先程と同じく、頑張ったのは陸奥守さん達だから……と否定してしまいそうになる。腑に落ちない様子の少女を見て、宗三は言い方を改める。
「では、”頑張ると決めた自分へのご褒美”ということで。そういうことにしましょう」
「う……うん」
その言い方の方が受け取ることに抵抗が無い。確かに、と思えた。そんな少女の心境の変化が表情から窺うことができて、宗三は一息つく。安堵半分、残りは難儀な性格への呆れと言葉の違いを知る賢明さへの感心が半々。
ふたりの会話が途切れたのを見計らい薬研が「これも買ってくれ」と指をさしたのはシュークリームだった。食ってから帰ろうぜ、と続いた彼の言葉に少女の瞳が分かりやすく輝いたのを見て、宗三は一つ審神者について発見した。きっと彼女は自分だけ特別扱いされるより皆と同じものを与えられることが好きなのかもしれない。それからきっちりシュークリームを三個購入し、食べながら帰った。

本丸に帰った三人を最初に出迎えたのは鶴丸国永と秋田藤四郎だった。ふたりは身軽な彼らを見て首を傾げるもすぐ配達だと思い至ったらしい。興味津々なのを隠さずに駆け寄ってくる。
「主君、何を買ったんですか?」
「俺を置いて買い物に行ったんだ。いい驚きを見せてくれるんだろうな」
「冗談を。みながみな貴方のような訳ないでしょう」
「極々普通の買い物だよ。期待を裏切っちまって悪ぃな」
「ピザをね、買ってもらったの。秋田くんも食べようね」
「ぴざ? お菓子ですか?」
「ううん、ごはん!」
「なるほど、ごはんですか!」
そんな話をしている中、こんのすけが走ってくる。その後ろには陸奥守の姿もあった。離れていた時間は半日にも満たないのにひどく懐かしく思えた。
「審神者さまーっ、万屋街から転送申請が来ましたよー」
「主~、おかえり~」
「ただいま! たくさん買い物してきました。じゃあ許可するね、こんのすけ」
審神者が転送申請を許可すると、山積みの食材が門付近の決められた場所にまとめて転送されてきた。普段の買い物とは比にならない膨大な量にわっと歓声が上がる。やはり目につくのは酒瓶の山である。
「おぉ、こりゃあ土佐の酒じゃ……」
声音までも喜色に満ちた陸奥守の笑顔に審神者も得意げになる。実際は酒のこともさっぱりなので店主に選んでもらったものだが、だとしでもだ。そわそわしつつも何も言わない審神者を見ていた宗三が口を開いた。
「そのお酒、貴方のために主が選んだんですよ」
「ほ、ほんとか!? ありがとなぁ、主!!」
陸奥守が喜びの勢いに任せて抱きついてくる。雑に頭を撫で回されながら、少女もそろりとその背中に両腕を回して身を寄せた。温かさが伝わってくる。
「買い物、たのしかったです」
「ほぉか。それなら良かったのう。こがにようけ……宴が楽しみじゃ!」
「本当にたくさん買いましたねぇ」
こんのすけが感心したように見上げる。持って帰ることを早々に諦めた買い物の量だ。重い物も多い。ここにいる者で何度往復すれば良いのだろうか。仕方ないことだが大変そうだ、と覚悟したところで薬研に「なぁ大将」と呼ばれた。
「手伝いを呼んでくれ。その方が楽だ」
「えっ……えぇ……?」
まさか自分に振られるとは思わず狼狽える。呼ぶ、とは。つまりここから大声を出して誰か来てくれるか頼むということか。できるのだろうか、できたとして来てもらえるのだろうか、嫌な想像ばかりが脳裏を過ぎる。けれど陸奥守もこんのすけも笑顔で審神者が行動するのを待っている。
(なら、きっと大丈夫、なのかも)
陸奥守から離れて本丸の方を向く。緊張で全身が強張り、心臓は音が聞こえそうなほど激しく鳴っている。息を吸っても浅かったので一旦吐き出して、もう一度吸う。
「っ、み……みんなぁー! 手伝ってくださーい!!」
喉が裂けるかと思うほど、精一杯声を張り上げた。
途端、本丸中が騒がしくなる。反応を待つ間さえなかった。
「主帰ってきたの? おかえり!」
加州が二階から顔を出してそのまま降りようとするのを青江に止められている。畑当番だった小狐丸と岩融が農具片手に走ってくるのが見える。鳴狐のお供の狐がひとりで走ってきたかと思えばまた去っていく。
「鳴狐っ、主殿がおかえりですぞ~!」
そんな狐と入れ違いで獅子王と石切丸が縁側から降りてきたところで、彼らもその量に目を丸くした。
「おかえり、主」
「これは厨ですか?」
「生ものは一旦仕舞うか。酒はそのまま広間でいいんじゃないか」
「おい和泉守! 持っていうたち確保やないぜよ!」
瞬く間に門付近がごった返したものの、陸奥守と宗三が仕切り始めれば混乱することもない。彼らの指示で山積みだった荷物が次々と捌けていってあっという間に無くなってしまう。その手際の良さに審神者はぽかりと口を開けて見ているしかできなかった。

そうして賑わいが去った後で遅れてやってきたのは堀川国広と山伏国広だった。
「あれ、もう大丈夫でしたか?」
「はい、皆さんに持って行ってもらいました」
「そっか。遅れちゃったな。あっ、主さん、それ持ちましょうか?」
ずっと手に持っていたパン屋の袋を指して堀川が声を掛けてくれるのをお礼を言って断る。審神者の分だと買ってもらったものだ、これくらいは自分で持たなければ。彼女の返事に頷いた堀川の横で山伏がおもむろに膝をつく。
「では主殿も一緒に戻るとするか。さぁ、拙僧の肩へ」
「……肩、ですか? うわっ」
山伏は審神者を片腕で軽々と肩の上に持ち上げた。一気に視界が変わる。兄弟、と堀川の焦った声が下の方から聞こえてきた。カカカ、と快活に笑い声が近い場所で響く。
「ッ、すご……高い……」
「さて、今晩は宴か。楽しみであるなぁ!」
審神者を肩に乗せたまま山伏は歩き出す。想像以上に揺れたので慌てて浅葱色の頭にしがみついた。持っていた袋が彼の耳元でカサカサと揺れながら頭巾の無い頭にぶつかっている。それを見兼ねた堀川が「やっぱり僕が持ちますよ」と手を伸ばしてくるのに今度は甘えることにした。
「ありがとうございます。……山伏さんは、力持ちですね」
「なんのこれしき。修行の賜物よ」
その返事には謙遜もなければ驕りもない。自分への自信が伝わってくる力強い穏やかな声。
こんなふうに、自分ではない他の誰かのように、もっと身体が大きくて頭が良くて沢山できることがあれば、なんて。思わなくもないけれど。ずっと思っているけれど。
(でもきっと、私にはできないな)