第七話 ここからはじまり

本丸にいる全員が広間に並ぶ光景は壮観だった。普段も食事の時間を決めているとはいえ、自由気ままに時間を守らない刀もいるしそれで罷り通るのも事実だ。ここまで大勢が集まるのは初めてかもしれない。今日この祝宴は誰にとっても特別な時間だった。
「主、なんか言うがか?」
「い、いいです……さすがにそれはちょっと……」
広間の中でも上座に席を確保された審神者がそっと陸奥守の近くに寄って辺りを見回している。もちろん知らない顔はいない。いないが、全員と平等に親しくできている訳ではないため緊張しているのだろう。それは陸奥守も同じだった。この本丸に陸奥守と刀工を同じくする者や元主を同じくする刀剣男士はいない。任務の話となれば第一部隊で集まるが、今のような場合はどう動けば良いのか分からない。陸奥守が常に審神者の傍にいるのにはそういった理由もあった。
「よお陸奥守」
「和泉守、おまん……」
酒瓶と酒器を両手にぶら下げてやってきたのは和泉守だ。まだ乾杯もしていないというのに飲む準備は万端だ。流石に酔ってはいないか? そんな疑問が言わずとも伝わったらしい、彼は肩を竦めて笑った。
「まだ乾杯の合図は守ってんよ。ほら、お前も飲むだろ?」
審神者と反対側の位置にどかりと腰を下ろしてそれらを広げていく。いつでも宴会が始められるような状態になった机の上を前に、和泉守は審神者を急かした。
「ほぉら主。挨拶、バシッと決めてくれよ」
「あいさつ? あいさつって、どうやってしたらいいですか……?」
「いつものいただきますでいいんだよ。難しいこたぁ考えるな」
「わしもそれでえいと思う。緊張することない。できるか?」
「は、はい。たぶん」
意を決した審神者が一番前に立って部屋全体を見渡す。すると自然に騒めきがひき、広間にいる者達の視線が彼女にむいた。その視線の数に怖気ついたのか、ちらりとこちらを見てくるのに陸奥守は手を振って応える。隣の和泉守がおどけて「よっ、大将!」と囃し立てるのを遠くから「兼さん!」と叱る声が飛んでくる。誰かの笑い声を皮切りに場がどよめく。緩んでしまった空気に話し出すタイミングを失い、少女の視線がおろおろと泳いだ。
「こら、静かにしろ。主が話せないだろう」
長谷部がよく通る声で注意することで場は再びしんと静まり返る。再び自分に集まる視線に、審神者は引きつりつつも笑みを浮かべて見せた。彼女が両手を前で揃えるのを見て刀剣男士達もそれに倣う。
「今日も、みんな、ありがとうございました。……えっと、い……いただきます」
「「「いただきます!」」」

宴が始まり、あちこちから楽しげな声が聞こえてくる。陸奥守の横では和泉守が顔を赤く染めて机に頬杖をついている。堀川が置いていった水は既に無くなっていた。
「飲めるじゃねぇかこの野郎……」
「飲めんとは誰も言うちょらんしなぁ」
彼と同じ調子で飲んでいた陸奥守は顔を赤らめながらも酒を注ぐ手を止めない。陸奥守は今まで酒を飲んだことが無かった。飲めない訳でも禁じていた訳でも、況してや禁じられていた訳でもない。ただその機会がなかっただけだ。
「ちょっと兼さん、陸奥守さんと張り合おうとするのはやめてよ」
堀川が追加の水を持ってきて苦言を呈している。当然のように陸奥守のぶんも渡してくれる、気の利く脇差だと改めて感心した。
「堀川はちゃんと食べちゅうか?」
「僕もちゃんと頂いてますよ。飲まない組は飲まない組で楽しくやっていて、主さんも鶴丸さんが気にして下さっていますし、楽しそうでした」
「ほうか。それなら良かった」
審神者が陸奥守の隣にいたのは本当に最初だけだった。いただきますの発声が終わるや否や鶴丸が「主は爺とおやつでも食べようなぁ」と連れていってしまった。今探してみると彼や短刀に囲まれたところにいるのを見つけた。確かに幼い子どもの前で酒を飲むことに抵抗はあったので助かった。ただ鶴丸は飲まなくて良いのだろうか、それが気掛かりである。
少女の周りには代わる代わる刀がやってきている。遠くから見ても緊張した様子なのが分かったが、鶴丸が上手く間に入ってくれているようだ。安心すると同時に少し寂しくも思った。良くない感情だと自嘲し、心の内を誤魔化すように手元の酒を呷る。酩酊により少しぼやけた視界の中で、長谷部がゆったりとこちらに向かってくるのが見えた。片手に酒瓶をぶら下げた姿は先程の和泉守に似たものがある。
「まだ飲めるか、陸奥守」
「長谷部」
飲めるか、と聞いてくる彼こそ目が据わっている。返事の代わりに「おまんは?」と聞き返せば「飲めるが」と返ってきた。
「宗三が小夜たちの方に行って飲む相手がいなくなった」
「ほうか……」
(わしでええんか? ……ええんか)
彼が自分のことを飲み相手として認識していることに少なからず驚いた。戦のことや本丸についての話以外で話すことはなかった。持ち主どころか生きた時代すら異なるのだから共通の話題も意味つけることは難しい。
「新しい酒かァ?」
「もうっ、兼さんはもうお水飲んで。長谷部さんも、お水持ってきますね」
長谷部の持ってきた酒を飲もうとした和泉守が堀川に止められている。相棒に言われた彼は素直に水の入ったグラスに口をつけ始める。
「長谷部さん?」
「……あぁ、……すまない」
「長谷部も、ほんまに大丈夫がか?」
「大丈夫だ」
動きも話し方も緩慢で肩の力が抜けきった様子は普段の厳格さが嘘のようだ。彼が持ってきた酒瓶を受け取り空にした自身のぐい呑みに注ぎ、長谷部には自分が今まで飲んでいた焼酎を注いだ。互いに視線を合わせて酒器を掲げる。一口含めば、彼の持ってきた日本酒は清涼感があり飲みやすかった。その勢いで器を空にした後、長谷部がほぼ口をつけていないのに気付いたが、指摘することはやめておく。審神者の姿を探してみたがいつの間にかいなくなっていた。
「おまんは、主のところに行かんくてええがか?」
「行ってきたに、決まっているだろう。ただ、俺がずっと傍にいては主も周りのやつらも休まらない……」
「おんしゃあ意外と気にしいか」
意外と、と思わず本音が出た。彼がまさか調和を重んじる刀だったとは。目的のためであれば各々の気持ちは端に置いておく側だと勝手に思っていた。そんな陸奥守の驚きが伝わったのか、じろりと怪訝な眼差しが刺さる。
「気にしいは、お前も、人のことを……言えないだろう」
「わしはまぁ……。癖みたいなもんじゃ」
初期刀やし。坂本龍馬の刀やし。そう続けるのはなんとなく憚られたから適当に誤魔化した。けれど間違ったことは言っていない。元の主の影響や初期刀としての立場が一因だったとしても、それを苦だと感じたことはなかった。
「癖で、そこまでできるのか……。俺には、むずかしいな……」
長谷部の呂律は次第に怪しくなっていく。一口舐めるように酒に口をつけてゆったりと言葉が続いた。熱に浮かされた視線が陸奥守をに向いたり床を泳いだりしている。
「俺は、お前のその、周りを気遣って行動にうつせるところが、自分には、ないところだと思った……」
「…………」
今度こそ、陸奥守は驚きで言葉を失った。流石に今の台詞を聞いて嫌味だ非難だと解釈するほどひねくれてはいない。ただ、自分のこういった部分は煩わしく受け取られているとてっきり思っていた。
「……言うたら、おんしの、いつでも目標を変えんまっすぐなところもええとこじゃろ」
「まっすぐ、か?」
「おぉ」
結局は似たもの同士で無いものねだりをしているということだ。言葉にしてみればなんて幼くてつまらないことをしていたのだろう。長谷部は、ははと吐息交じりの笑みをこぼす。その表情は呆れているようにも見えたし、気安い親しさのようなものも感じられた。とろとろと落ちていく目蓋が藤色の双眸を隠してしまうのを、陸奥守はぼんやりと見ていた。
「そうか……」
「長谷部?」
あ、と思ったときには遅かった。
「は~せ~べぇ~」
もう一度呼んでみたものの返事はない。喧騒に掻き消されそうなほど密やかな寝息だけが返ってくる。途中から何も喋らなくなった和泉守の方は予想通り潰れていた。机に伏せて小さく鼾をかいている。酌まれた水だけはちゃんと飲んであった。
(なんじゃこれぇ)
泥酔したふたりにを前に陸奥守はお手上げ状態だ。和泉守は後で堀川が何とかしてくれるだろうが、何なら今日は此処で夜を越すかもしれない。助けを求めた訳でもなかったが、話し相手もいなくなったので周囲を見渡す。小夜は左文字の三振りで何か話しているようだ。今剣は石切丸と獅子王と一緒にいる。加州と山姥切が一緒にいるのを見つけてなんだかんだ仲が悪くないことにほっとする。部屋割りは基本的に顕現順なので選べない。山姥切に対して小言が絶えない加州は今の部屋割りに納得いっていないのかと心配したが、どうやらそういうことはなさそうだ。
加州がこちらに気付いて手を振ってくる。
(なんじゃあ、どこも上手くいっちゅうのう)
酔いで気が大きくなっているだけかもしれないが、そんなふうに思えた。
「あ、兼さん寝ちゃいましたか」
「長谷部さんも、寝ちゃってる……」
戻ってきた堀川の隣には審神者の姿もあった。持ってきた水を置いて潰れてしまった二振りをまじまじと見つめている。
「長谷部さーん、お水置いときますねー?」
「…………」
主の声になら反応するのでは、と期待をしてみたが起きる気配はない。酔っぱらいなんて初めて見ただろう。流石に心配に思ったのか、少女は顔をひきつらせて陸奥守を振り返る。
「え……これ、大丈夫ですか……?」
「なんちゃあないなんちゃあない! 酔っ払ったらみぃんなそうなる!」
「そうなんです? ならいいんだけど……。陸奥守さんも楽しそうですね」
「わしがか? そりゃあ楽しいにゃぁ。おんしも楽しそうじゃ」
陸奥守の言葉にふにゃりと笑って少女は頷いた。酒気にあてられた訳ではないだろうに、丸い頬がぽてりと火照っている。
「うん、楽しいですよ。みんな優しくて、色々話してくれます」
「みんな、主さんのことが大好きですからね。では、僕は片付けを手伝ってくるので、主さんはゆっくりしてて下さい。兼さんの回収も後で来ますんで!」
「堀川、おまんもゆっくりしたらえぇのに」
「僕は好きなことをやっていますから心配しないで下さい。それでは」
立ち去る堀川の背中を何となしに見送っていると、彼の傍に青江と鳴狐が近寄っていくのが見えた。手伝おうかと言ったのかもしれない。三振りは空になった食器を集めて広間を出て行った。自分が慌ただしくしているうちは気付かなかったが、こうして腰を落ち着けていると意外だと思うことが次々と見えてくる。自分が把握しきれていないものは、きっと今見えているもの以上にあるのだろう。
(なぁんか……ひとりで気張りすぎちょったが。その通りかもしれんなぁ……)
酔いが眠気を呼んだのか、小さく欠伸が漏れる。
「……陸奥守さんが楽しくて、良かったです」
「おぉ、楽しい。……おまんがおって、みんなもおって……楽しいにゃあ」
分からないこと、難しいことばかりのこの戦いの中でも、共に過ごす時間は楽しい。頑張ることをやめるつもりは毛頭ないが、頼れる仲間がこんなにもいるならば少しは気を張るのをやめてもいいのかもしれない。
だって、二つの腕でできることなんて本当に少しでしかなかった。けれどここにある腕はたった二つでもない。もう、ひとりきりでもふたりきりでもないから。ここには仲間のぶんだけ腕がある。それならば、できないことなんてないように思えた。